ぼく自身のノオト

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ぼく自身のノオト

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  • サイズ 46判/ページ数 224p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784422930893
  • NDC分類 934
  • Cコード C0011

出版社内容情報

青年の普遍的思索。
500万部突破の世界的名著、待望の復刊。


1979年に出版された『ぼく自身のノオト』
(原題:NOTES TO MYSELF)を
初版時の瑞々しい翻訳で新装復刻。
青年期の心をめぐる、
生き方を確立する方法をさがし求める
心理エッセイ。


訳者新装版あとがき:きたやまおさむ


装画:中田いくみ
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)


*********

推薦:山崎まどか(コラムニスト)


13歳から20歳にかけて、
この本を何度も読み返し、
友だちや好きな人のみんなに貸した。
どのページのどの言葉も覚えている。
久しぶりに手にとって、これはもしかして、
いま必要とされている言葉ではないかと考える。
北山修の名訳だ。

*********

訳者あとがき(初版時)より


これは、一九七六年にBantam Booksから出版された‘Notes to Myself―My struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが一九七〇年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。

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内容説明

青年期の心をめぐる、生き方を確立する方法をさがし求める心理エッセイ。世界500万部突破の名著、待望の復刊。

目次

ぼく自身のノオト
読者へ

著者等紹介

きたやまおさむ[キタヤマオサム]
1946年淡路島生まれ。精神科医、臨床心理士、作詞家。65年、京都府立医科大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズ結成に参加し、67年「帰って来たヨッパライ」でデビュー。68年解散後は作詞家として活動。71年「戦争を知らない子供たち」で日本レコード大賞作詩賞を受賞。その後、九州大学教授、白鴎大学副学長などを経て、九州大学名誉教授、白鴎大学名誉教授。現在は精神分析を主な仕事とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ゆのん

66
1976年に出版された本。いつの時代も人の感情面での悩みというのは変わらないものだと感じる。人間関係はもちろんの事、自分自身の心の動機や、ホントのホントの本心というのも実は分かっていないのかもしれない。共感出来る部分と出来ない部分はあるものの、著者の正直な思いに触れた気がする。2021/01/24

ツキノ

22
1976年にアメリカで無名の著者、小さな出版社から発行され、数年の間に百万部を売り尽くしたという。日本でも1979年に出版されたものの復刊。小説ではなく、章立てもなく「個人の日記」の抜粋。帯には「心理エッセイ」とある。「あるがままを受け入れる」(56p)「批判」(130p)が刺さった。2021/04/18

Roko

19
この本の初版は1976年に出版されました。何年経っても人の心の在り方というのは変わらないのですね。自分がやりたいと思うことを押し通していいのか?自分が誰かのことを嫌だと思うのは何故なのか?と悩んだり。人のためと思ってやっていることが、実は逆の作用をしてしまうということに気がついたり。どのページを開いても「そうだよね」と思うことばかり。そうか、そういうことに悩んでいたのはわたしだけじゃないんだと気付いたり。どこから読んでもいいんですよという著者の思いは今も生きているのです。#NetGalleyJP2021/01/12

ノブヲ

12
ページの大きな空白に委ねられた宙吊りの散文は、ときにマンガのセリフを思わせる。「自分が何かをいやに熱心に主張している時は、実はそのことについて自分も納得していないのだと思って間違いない。」とかね。なんにせよ、「生きる」ことの困難が語られている。よくいえば友人の何気ないたわごとを聞いているようでもあり、すべては自分の泣き言(弱音)のようにも思えてくる。またその反対に、説教節のように、やかましく響いてくることも。そのときどきの読み手の心持ちひとつでいくらでも音色を変える不思議で、瑞々しい散文集。2023/11/02

金木犀

4
読んだ雑誌で紹介されていて、とても気になった一冊。アメリカでカウンセラーをしていた"ぼく"によって綴られた日記。どこか哲学的であり、自問自答を繰り返しながら心理に訴えかける言葉の中には、ハッとさせられるものがあった。特に「ぼくにとって孤独とは、バラバラになっていた自分のいろいろな面をもとに戻すことを特に意味している」「愛を得ようて努力しないで、愛情そのものになる」という言葉が心に響いた。迷った時に手に取って読み返したくなるような本。2021/06/14

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