出版社内容情報
【内容紹介】
タイム誌が20世紀最大の建築家と評した建築界の巨匠ル・コルビュジエ。画家になることを夢見ていた少年時代から、建築に対する決定的な変化をもたらすほどの衝撃を受けた青年時代の東方旅行、そして世界的名声を獲得していくまでの人生を、建築作品、絵画、著作とともに詳細に辿る。ル・コルビュジエ財団の元委員長である著者が、貴重な資料と図版をあますところなく活用した、絶好のコルビュジエ案内書。
【詳細目次】
第1章 ジュラ地方の根源
1887年、パリのシャン=ド=マルス広場で、のちにエッフェル塔という名前で世界中に知られることになる高さ300メートルの塔の建設がはじまった。同じ年の10月6日、フランス国境から数キロメートルの場所に位置するスイスのヌシャテル州のラ・ショー=ド=フォンで、のちにル・コルビュジエと名乗るようになるシャルル=エドゥアール・ジャンヌレが生まれた。
第2章 変化
1910年のドイツ留学と1911年の近東諸国への旅行は、若きシャルル=エドゥアール・ジャンヌレに決定的な大変化をもたらした。しかし彼は、さらに5年間を生まれ故郷の町で過ごし、その後自分の根源があるその土地と決別し、1917年にパリに居を定めた。そのときジャンヌレのなかには、わずかにル・コルビュジエの姿が見えはじめていた。
第3章 開花
1917年、1920年にル・コルビュジエと名乗るようになるシャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、自分の性格や思想や能力を華々しく発揮した。造形表現、建築作品、都市計画、著述など、その後20年にわたって、彼は非常に多くの作品を残すことになる。
第4章 成熟
第2次世界大戦後、ル・コルビュジエの芸術は成熟の域に達した。マルセイユ(フランス)の集合住宅ユニテでは、彼がいだいていた社会的な住居という本質的なアイデアが具体化された。ロンシャン(フランス)の教会では、コンクリートによって精神の気高さが見事に表現された。ル・コルビュジエは、絵画、彫刻、織物、版画を使って、「おもな芸術の統合」を実現したのである。
第5章 絶頂
晩年の10年間、ル・コルビュジエは以前ほど執筆をしたり、絵画を描かなくなった。織物や彫刻の制作はたくさんしたが、時間とエネルギーの大半を建築に費やした。インドのチャンディーガルに建てた大建造物やラ・トゥーレット修道院(フランス)は、ル・コルビュジエの作品の最後を飾るものである。フランス政府はようやく、彼に公共建築物の大計画を任せる決定をした。しかしそれらの設計をはじめたばかりの1965年、彼はこの世を去った。
【著者紹介】
ジャン・ジャンジェ
国立行政学院卒。文化省で美術教育と建築教育を担当し、建築創作局局長、歴史的記念建造物公庫副理事長、建築局副局長を歴任する。1978年から86年まで、オルセー美術館開館準備室室長。1971年にル・コルビュジエ財団の委員となり、1982年から88年と1990年から92年まで委員長を務める。著書に、『オルセー、駅から美術館へ』(1986年)、『ル・コルビュジエ、別の視線』(1990年)がある。
内容説明
本書は、コルビュジエの生涯と業績を、多くの図版とともに辿った評伝である。
目次
第1章 原点―故郷ジュラ地方の自然
第2章 急激な変化
第3章 開花
第4章 成熟
第5章 頂点
著者等紹介
ジャンジェ,ジャン[ジャンジェ,ジャン][Jenger,Jean]
国立行政学院卒。文化省で美術教育と建築教育を担当し、建築創作局局長、歴史的記念建造物公庫副理事長、建築局副局長を歴任する。1978年から86年まで、オルセー美術館開館準備室室長。1971年にル・コルビュジエ財団の委員となり、1982年から88年と1990年から92年まで委員長を務める
藤森照信[フジモリテルノブ]
1946年生まれ。東北大学工学部卒、東京大学大学院修了。東京大学生産技術研究所教授。全国各地で近代建築の調査・研究にあたる一方、赤瀬川原平氏、南伸坊氏らと「東京建築探偵団・路上観察学会」を発足。建築作品として「赤瀬川源平氏邸に示されたゆとりとぬくもりの空間創出」で日本芸術大賞、「熊本県立農業大学学生寮」で日本建築学会賞を受賞。著書として『明治の東京計画』(岩波現代文庫)で毎日出版文化賞、『建築探偵の冒険・東京篇』(ちくま文庫)でサントリー学芸賞などを受賞
遠藤ゆかり[エンドウユカリ]
1971年生まれ。上智大学文学部フランス文学科卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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