目次
第1部 精神分析とはどのような営みか(それでも、精神分析が必要な人のために―精神分析は何のためにあるのか;自分を救えるのは自分しかいない―精神分析が目指すもの)
第2部 精神分析とはどのような理論か(国境を超えると世界が変わってしまうのはなぜか?―想像界・象徴界・現実界について;私とはひとりの他者である―鏡像段階からシニフィアンへ;父親はなぜ死んでいなければならないのか―エディプス・コンプレクスについて;不可能なものに賭ければよいと思ったら大間違いである―現実界について;すべてうまくはいかなくても―分析の終結について)
著者等紹介
片岡一竹[カタオカイチタケ]
1994年栃木県生まれ。2017年早稲田大学文化構想学部卒業。早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース修士課程。戸山フロイト研究会主宰、東京精神分析サークル会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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harass
60
ラカン精神分析入門書。ラカン派の精神分析は日本だと臨床(治療)しているのはごく少数であり、そうなると理論ばかり、それも臨床とはかけ離れた理屈のみが、難解さを増幅させていると感じていた。本の半分が臨床に触れていて、精神医学、臨床心理学とはことなる、精神分析(ラカン派)はどう患者に接するのかにいろいろ驚いた。後半は理論。ラカンの時期によって概念の意味合いが変化していくことも触れている。正直精神分析はもう終わったかと思っていたが、まったく自分が知らなかっただけのようだ。表紙はさておいて、実に感心した。2022/09/25
Aster
32
全て上手く行かなくてもいいという気持ちを持つ。人の目を気にしない自分の道を進む。こういうことは寓意的な物語や人から色々聞いてきたが、この本を読んで真意が掴めた気がする。精神分析的に捉えることはとっても重要。人間は皆神経症でかつ死に向かっている。これを受け入れないのなら人生を受けいれてないのと同義では無いのか。ラカン入門はおそらくこの1冊だけでは足りないと思う。自分は前に読んだラカンの本と合わせて理解が深まった。付け加えるとこれは入門というよりラカン的「生き方のススメ」かな。ただの自己啓発本ではないが。2019/09/27
yutaro sata
31
『人はみな妄想する』に入る前に、もう少し入門書的なものをと思い、読んだ。精神分析の特徴を精神医学、臨床心理との比較で説明するくだり辺りから、もう面白い。そうそう私はこういう世界が好きなんだよなあ、という感じ。 人間の現実を徹底的に言語の世界として捉える。しかし向こう側の現実界をも無視せず射程に入れていく、こういったラカンの理論はもっと詳しく知りたいと思った。 文献案内も丁寧で有難いし、さて『人はみな妄想する』へ参りましょうか。2023/09/29
特盛
22
評価4/5。現代思想や批評で頻出するラカンの概念。「自我は他者である。」千葉雅也が推薦していた書籍であり手に取る。精神分析の位置づけからラカンのコンセプトまでとにかく丁寧に分かりやすく解説され、大変参考に。想像界・象徴界・現実界・主体・図式Lみたいな話から、後期ラカンの対象α、享楽、欲動、ファンタスムといった概念まで通して触れられる。エディプスコンプレックスの章では、首を傾げつつも、自分の人生での去勢の契機と意味合いを何度も振り返る。(少し前長らく勤めた会社の退職もそうだ)。刺激的で解放的な体験だ2024/09/15
禿童子
21
ラカンがフロイトを足場にして編み出した想像界・象徴界・現実界の関係、ダジャレにも似たフィニシアン、要請・欲望・欲動の違いと関係。これだけ複雑なことを私にもわかるように砕いて説明する著者の力量に感服しました。精神分析が精神医学とも心理学とも違うこと。「健常」な人間は存在しないこと。精神分析は治療ではなく、主体の特異性に気づくことによって、その人の生き方を根底から変えることを目的とする。いささか単純ですが見事な概括。ただし、精神分析のアプローチが終始性的な側面から人間を規定する点は疑問です。すぐれた入門書。2018/04/20
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