内容説明
日本のボランティアは、東京帝大の学生たちによる関東大震災後の救護活動およびセツルメントの開設に端を発する。だが、ヒトラー・ドイツに学んだ日本国家は彼らの社会貢献を制度化し、「勤労奉仕」に組み換える形で戦時体制に取り込んでゆく。20世紀史を鏡に、私たちの自発性と強制性の境を揺さぶる渾身の書。
目次
序章 いまなぜ「ボランティア」なのか?
1 日本の「ボランティア元年」―デモクラシーの底辺で
2 自発性から制度化へ―奪われたボランティア精神
3 ヒトラー・ドイツの「労働奉仕」―日本が学んだボランティア政策
4 ボランティア国家としての「第三帝国」―結束と排除の総活躍社会
5 「勤労奉仕」と戦時体制―日本を支えた自発性
終章 迷路のなかのボランティア
著者等紹介
池田浩士[イケダヒロシ]
1940年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。1968年~2004年京都大学、2004~13年京都精華大学に在職。京都大学名誉教授。専攻は現代文明論、ファシズム文化研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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松本直哉
37
善意で始まった社会貢献が体のいい無賃労働として権力に利用されるうちに、いつのまにか強制的な勤労奉仕になる過程を、先の大戦の日本(満蒙開拓団ほか)とドイツ(ヒトラーユーゲントなど)を例に論じる。考えてみれば純粋な自発性や自由意志などというものはなく、人は常に他者に巻き込まれる形でしか行動できないのではなかろうか。「どうしてやらないの、みんなやっているよ」と言われて何となくやる羽目になるのだ。「自粛の要請」という変な日本語もそれだ。従軍慰安婦が自発的だったから自業自得というロジックも。部活動という変な風習も。2021/02/28
アナクマ
34
自発的ボランティアと強制奉仕は地続き。そのグラデーションに警戒しつつ、日独の過去を振り返る。◉関東大震災、セツルメント、満蒙開拓。階級差別を無くすための労働奉仕義務化(ドイツ)◉往時の生きた言葉が多く引用され雰囲気を掴みやすい。ヒトラー「国家がきみを強いるべきではない。きみが、共同体に対して抱く感情に表現を与えるべきなのだ。歩み寄って自発的に犠牲を捧げなければならない」この跳躍はほんの半歩だな。◉終章。現代へのフィードバック部分はちょっと?ですが、著者の人柄、楽しく読了。慎重に隘路を行くしかないのだろう→2020/05/01
ステビア
27
日独の比較。自発性は強制として総力戦体制に取り込まれた。要するにやりがい搾取、うまいことタダ働きさせられたのである。服部之総、清水幾太郎、扇谷正造など数々の人がセツルメントに関わっていた事は知らなかった。2024/05/06
ぷほは
6
自粛警察が跋扈し、検察庁法改正案反対の盛り上がりを横目に読了。「地獄への道は善意で舗装・一億総ノンブレーキで暴走/安い正義より保ちな正気・オレたち元々ほとんどビョーキ」のライムスター「ダーティ」はポスト3.11の歌だったが、またぞろ「絆」とか言い出してる場合にはひとまず歴史から認識を手繰り寄せる反省も、必要になってくる。トークイベントでの著者の温和な口調と覚悟の漲る語彙を思い出す。国歌斉唱で起立せずに職を追われた教職員らのグループ「ZAZA」での講演が元になっており、後日に父がその元の冊子を見せてくれた。2020/05/15
Mealla0v0
4
関東大震災後の日本にボランティアは隆盛する。東大生によるセツルメント活動は、学生の自発的な活動であり、それによって多くの被災者は救われ、活動は盛況ゆえ継続していく。それらは大正デモクラシーの薫陶を受け、被災者の自治を促し、自発性や主体性を重視するものであった。しかし、時代は戦争へ向かうなか、ボランティア活動は翼賛体制へと組み込まれ、勤労(天皇のための労働)へと変質していく。ナチス・ドイツのボランティア活動について章を割き、その比較から、勤労イデオロギーの特徴の把握が試みられている。2021/10/03