目次
巡礼
私は感ずる、できる―時祷詩集(ロシアへ 若き修道僧リルケと共に―第一部 僧院生活の書;キエフ地下聖堂の祈り―第二部 巡礼の書;より貧しくあれ―第三部 貧しさと死の書;ロダンに出会う)
孤独と絶望からの再生―マルテの手記(巴里 行き止まりの露地;流れに逆らって)
すべての天使は怖ろしい―ドゥイノの悲歌
著者等紹介
志村ふくみ[シムラフクミ]
1924年滋賀県生まれ。1955年滋賀県近江八幡に住み、染織の研究をはじめる。1964年京都嵯峨に移り住む。1990年重要無形文化財保持者に認定。1993年文化功労者に選ばれる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
90
染色家である志村ふくみさんによるリルケの作品集への思いがかなり伝わってきます。ここにはリルケの「時禱詩集」「マルテの手記」「「ドゥイノの悲歌」の三作についてのご自分の感じられたことあるいは旅で出会ったことに関してのエッセイがつづられています。リルケについてのひとつの読み方というかオマージュが伝わってきます。また最初の志村さんによる詩「巡礼」が印象に残りました。私もこのような読み方を参考にすべきだと感じました。2022/11/23
chanvesa
32
「神はやがて存在するでしょう。孤独な、時間の外に身を避けている人々が、神を建てるのです、心と頭と手で神を建てるのです。(42頁)」リルケの危うい言葉。志村さんは「今神は存在しないが未来における神の存在を信じる」と書かれている。ものをつくることを極めた方が言葉と格闘した男とクロスする。バベルの塔を建設しようとした人間達と真逆の精神。「すべて自己の在り方の問題として自己への否定をみずから受容して、その極限に於いて世界が一変するのいう希望を、絶望の彼方に見ようとする(93頁)。」逆説から高みへ昇る親鸞を想起。2017/07/19
アマヤドリ
17
長いこと読み進めてついに輪が閉じられることを感じる。遠い道のりの間にたくさんの拾いものをした。いったんしっかり閉じよう。強く手を握ってしまおう。また覆うみたいに大きな輪を持てるし、いつでもまた立ち寄って拾えるのだものな。強くこころを惹かれてその詩から踊りのたねをもらったものが突然、でも出会うべくものとして現れた。呼び声は聞こえていたものの、やっと手をつけられた。2014/09/07
ゆれる
6
装丁も素晴らしくて、彼女の作品を模したものなのだろう表紙の手触りが心地よい。ある音楽家がアルバムジャケットは家のようなものなんだ、と言っていたけれど、カバーをはずして読んで読み終えて戻したくなる本だ。ペーパーバックでストーリーを追いかける感覚も良いけれど、内容にふさわしく指先で辿って身に沁みこませるような読み方ができるというのもいい。2015/08/07
Toshihiro Nishikawa
4
自分が何かを書くと、この文章の価値を下げそう。それほどリルケについて理解もしていない。ただ、我々が定めとして光の中を歩んでいるということ、再び闇に帰るときに、降りくだる幸福というものがあるということ、ただ定めとして嘆くのではなく、その意味をもっと深く考えながら日々生きるようにしたいと思った。2013/04/21
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