内容説明
日本植民地時代の「国語」教育、およびその「成果」をめぐる、当時から現在までの様々な言説を分析。台湾人の苛立ちと諦観、教育者の焦りと自己満足、旅行者のノスタルジー、言語学者の興奮など、日本語を話す台湾人という現象からあぶりだされるのは、むしろ日本人の日本語観である。ことばをめぐる政治・歴史・他者像を明らかにしてきた著者の最新書下ろし。
目次
はじめに―「JAPANデビュー」
第1章 日本語への視線―「かれらの日本語」という問題
第2章 「かれらの日本語」発生の前提
第3章 「かれらの日本語」の発生
第4章 「かれらの日本語」の展開―一九四五年以降の台湾と日本語
第5章 「日本語教育史」の再編―「成功」の歴史なのか
第6章 「かれらの日本語」、その後―一九九〇年代以降の議論
おわりに―「わたしたちの日本語」の解体にむけて
著者等紹介
安田敏朗[ヤスダトシアキ]
1968年神奈川県生まれ。1991年東京大学文学部国語学科卒業。1996年東京大学大学院総合文化研究科博士課程学位取得修了。博士(学術)。現在、一橋大学大学院言語社会研究科教員。専門は近代日本言語史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
midnightbluesky
3
植民地にされたのにも関わらず“親日の国なのはなぜ?”という疑問が解決するヒントがある。Nスペ『JAPANデビュー』問題がなぜ問題なのか?ということも。ただし感情論で解明するのではなく、研究者ならではの緻密な調査と考察で“かれらの日本語”が“われわれの思い上がり”なのだと痛感。ちなみに野上弥生子のエピソードが評伝そのままの(爆)な感じ。2012/06/26
うりきち
0
ドキュメンタリー「台湾人生」を見たとき、監督やかかわっている人の善意を疑いはしなかったけれど、「まだ残っている日本」へのノスタルジアのようなものには少し違和感を感じました。この本を読んでわかったのは一方的に「棄てた」側がノスタルジアを感じることの矛盾があるのではということです。そこに住む人たちの母語ではない日本語は皇民化教育のために教えられたわけで、日本語を話す台湾の人々は「日本」だった台湾を懐かしんでもいいし、「日本」が彼らを棄てたと恨んでもいいけれど、日本人が彼らの日本語にノスタルジアを感じるのはちょ2012/09/08