出版社内容情報
存在者へとアクセスする存在論的条件の探究
物自体への接近を論じるメイヤスーらの思弁的実在論と、ヘーゲルを独自の形で解釈するブランダム、マクダウェルらの分析哲学の批判的検討により、カント以降のドイツ観念論を新たな存在論として再構成することを試みた力作。「世界は存在しない」「複数の意味の場」など、その後に展開されるテーマをはらみ、ハイデガーの仔細な読解も目を引く、哲学者マルクス・ガブリエルの本格的出発点。
「本書で私が示したいのは、カント以降の観念論(特にフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの哲学)を、現代の英米圏における一面的な(にもかかわらず科学一辺倒である)超越論的認識論と、昨今のフランス哲学における存在論の回帰(バディウやメイヤスー)のあいだの中間的な立場とみなすことができる、ということである。こうした中間的な立場にはまさに、私が超越論的存在論と呼ぶものを明確化することが必要なのである。私の説明によって、カント以降の観念論の構想が、「規範的なヘーゲル主義者たち」が私たちに抱かせるよりもいっそう存在論に近く、思弁的実在論が望んでいるよりもいっそう洗練され複雑であることが、明らかになるであろう。」(本書より)
○目次
謝辞
序論 超越論的存在論のコンテクスト
第一節 超越論的存在論とは何か、そしてそれがなぜ私たちに必要なのか
第二節 カント的な志向性の形而上学からカント以降の志向性の形而上学へ
第三節 論理学と存在論――バディウに抗して
第四節 偶然性と一般的不完全さ
第一章 知の存在論
第一節 シェリング、ヘーゲル、そして懐疑論の形而上学的な真理
第一項 無知の知(シェリング)
第二項 懐疑論と真無限(ヘーゲル)
第三項 懐疑論と形而上学が再び結びつけられる(シェリングとヘーゲル)
第二節 絶対的同一性と反省 ─ カント、ヘーゲル、マクダウェル
第一項 カントによる最も革新的な脚注
第二項 絶対的同一性 対 反省
第三項 批判概念としての絶対的同一性
第三節 表象それ自体の病理的な構造――ヘーゲルの「人間学」
第一項 ヘーゲルの「人間学」における身体性の理論(『エンチュクロペディ』三八八-四一二節)
第二項 〈所与の神話〉に対するヘーゲルの拒否
第二章 シェリングの自由の存在論
第一節 思考以前的存在と出来事――後期シェリングと後期ハイデガーにおける存在概念
第
内容説明
存在者へとアクセスする存在論的条件の探究。物自体への接近を論じるメイヤスーらの思弁的実在論と、ヘーゲルを独自の形で解釈するブランダム、マクダウェルらの分析哲学の批判的検討により、カント以降のドイツ観念論を新たな存在論として再構成することを試みた力作。「世界は存在しない」「複数の意味の場」など、その後に展開されるテーマをはらみ、ハイデガーの仔細な読解も目を引く、哲学者マルクス・ガブリエルの本格的出発点。
目次
序論 超越論的存在論のコンテクスト
第1章 知の存在論(シェリング、ヘーゲル、そして懐疑論の形而上学的な真理;絶対的同一性と反省―カント、ヘーゲル、マクダウェル;表象それ自体の病理的な構造―ヘーゲルの「人間学」)
第2章 シェリングの自由の存在論(思考以前的存在と出来事―後期シェリングと後期ハイデガーにおける存在概念;事後的な必然性―シェリングの後期哲学における神、人間、判断)
第3章 偶然性か、それとも必然性か―シェリング対ヘーゲル(絶対者の弁証法―超越的形而上学に対するヘーゲルの批判;偶然性の余地―論理空間の様相的地位についてのシェリングとヘーゲル)
著者等紹介
ガブリエル,マルクス[ガブリエル,マルクス] [Gabriel,Markus]
1980年生まれ。後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得。現在、ボン大学教授
中島新[ナカシマアラタ]
1988年生まれ、新潟県出身。ボン大学哲学科博士課程。専門はシェリング自然哲学および現代実在論
中村徳仁[ナカムラノリヒト]
1995年生まれ、京都市出身。テュービンゲン大学博士研究員。専門はシェリングをはじめとした近現代ドイツ哲学、社会思想史。批評誌『夜航』主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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