内容説明
ネット空間を制御する論理=プロトコルは、いまや現実世界をも深く貫いている。その作動方式を技術面から精緻に捉え、大胆に概念化することで、現代社会論、権力論、メディア論など人文諸学を全面的に更新した、新時代のマグナム・オーパス。『“帝国”』論を過去のものにし、『資本論』を生命論として読み替え、アート論にまで飛翔する、思想界を掻き立てる鬼才が20代で著しい話題作、ついに邦訳。
目次
第1部 脱中心化以後、、コントロールはどのように作動しているのか(物理的メディア;形式;権力)
第2部 プロトコルをめぐるいくつかの失策(制度化)
第3部 プロトコルの未来(ハッキング;戦術的メディア;インターネットアート)
著者等紹介
ギャロウェイ,アレクサンダー・R.[ギャロウェイ,アレクサンダーR.] [Galloway,Alexander R.]
1974年生まれ。ニューヨーク大学メディア・文化・コミュニケーション学部准教授。哲学者、プログラマー、アーティスト。『プロトコル―脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』は著者の第一作にして初めての邦訳である
北野圭介[キタノケイスケ]
1963年生まれ。立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、メディア論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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渡邊利道
3
米メディア学教授が、フーコーとドゥルーズの権力=テクノロジー論をベースにコンピュータ技術が生み出す社会と言説の権力構造をビビッドに分析し、その未来と戦略を左翼的に構想する。前半は緻密な技術的分析がひたすら続き、それを哲学的な形式の問題に翻案していくのがなかなか面白いが、どうも理論的にはちょっと微妙な気もする。とくに情報が物理的に人間に介入してくるコンピュータ技術の権力=管理についての洞察はやや直感的ながらもそれなりに面白いが、それに対する抵抗としてハッカーやアートなどが出されるのはちょっとどうだろうか。2017/11/19
iwtn_
2
脱中心化は最近些か流行りではありますが、その話題を取り扱っている?ということもあって読んだ。技術的な部分は頷きつつ、しかし中心化→脱中心化→分散化、の流れはあまり納得いかず。この辺はむしろ昔から実質的には分散していて、目に見える支配構造がそうなっていただけなのでは?という感想。あらゆるコミュニケーションにプロトコルを見いだせるが、コンピュータ&インターネットというメタメディアが発生したことでそのバリエーションが増えたのかもしれない、ぐらいの感想。少し古い本なので最新の考えを読んでみたい。2021/12/30
Bevel
1
歴史的にいろいろあり、結局現代社会は「プロトコル」という形式では分散的に管理されている。ここにいろいろ読み込めるよねという内容。ポスト構造主義を予言者というか、権威と見なし、そこからいろいろ連想させて議論を進めるのは、師匠のジェイムソン、ハート譲りで、うーんという感じ。ブレイクスルーを作ってくれる感じもあんまり読み取れなかった。2022/12/21
chiro
1
著者の問題意識は、ネット社会にあってリアルな社会での監視、管理体制というフーコー的な問題設定にあり、それは当然求められるものであるのだが、その前提として社会の中で著者の認識と同等のレベルにある層がどの程度いて、またある意味この情報の非対称性を詳らかにしない事にプライオリティをおくのはやむなしという側面もある中でザッカーバーグ的なアプローチは必ずあり得るものとした上で考察する必要があると考えるとこのリテラシーによる階層は大きな課題だと感じる。2022/09/24
ささみ
1
今の哲学書全般が、前に行くために邪魔している前提の方をぶっ壊せという話だなあ。時代だから仕方ないか。2017/10/23