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出版社内容情報
〈肖像の脱構築〉の果敢な試み。ナンシー哲学の恰好の絵解きでもある。岡田温司/長友文史訳。
内容説明
「肖像を描こうと構想するだけで、主体の哲学全体がもたらされる」―絵画のうちにもたらされた哲学、絵画によって実行=略奪され、箍を外された哲学の根本を明かす、“肖像の脱構築”の果敢な試み。
目次
自律的肖像
ルサンブランス
召還
眼差し
著者等紹介
ナンシー,ジャン=リュック[ナンシー,ジャンリュック][Nancy,Jean‐Luc]
1940年生。ストラスブール大学教授。哲学
岡田温司[オカダアツシ]
1954年生。京都大学大学院教授。西洋美術史
長友文史[ナガトモノリフミ]
1976年生。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
内島菫
21
肖像は確かに、不在や主体、想起の問題を伴う。肖像画に描かれている人物が鑑賞者にとって知己であろうとなかろうと、そこにその人はいない。あるのはその人の不在である。そこから立ち上がる主体とは、モデルなのか鑑賞者なのか画家なのか。それはどうやら著者の共同体論にも通じるようだ。つまり同一性としての共同体ではなく、分断されていることを共有する「分有」というあり方へ。それはさらに、木村敏の言う「間主観性」へ接続し得るかもしれない。また不在は、表面、仮面、ペルソナの問題系にも繋がる。深層性は同一性と同じほどに恣意的だ。2016/08/05
利一
1
もはや肖像はモデルの複製ではない、というのは当たり前である。では、肖像とは何を描くものなのか、そもそも肖像とは何なのか。肖像は自己に似る、と本書では述べられている。恐らく、肖像とはモデルではなく、描かれているものそれ自体に似てくるということだろう。本書で述べられている眼差しとはどう言ったものなのか、明確には理解できず、周辺知識を得てから再読が求められている。2013/08/11
HAL9777
0
肖像は、ある主体の再現表象ではなく、むしろ即自的な現前と自己の外への踏み外しという両義性において、主体の存在論的な問題機制を顕にする。すなわち、分有された主体の不在、不在の現前。モデルは肖像において本質的に不在であり、不在のみが重要である。この不在の露呈によって生じる主体=主題の自同性(みずからに似ること)が、見る/見られる眼差しを無際限に送り返す。したがって、肖像の眼差しそれ自体が世界への開かれであり、自己の(われわれの)露呈である。タブローにおいて無限に引かれ直される露呈(退隠)の線、筆触(タッチ)。2024/12/19