内容説明
聖なるものの根源に触れつつ、〈至高性〉への渇望を原始王権の〈王〉から共産主義までを射程に入れて展開。『呪われた部分』結論部として構想されたバタイユの真骨頂。
目次
第1部 至高性の意味するもの(理論的序論)
第2部 至高性、封建社会、共産主義
第3部 共産主義の否定的な至高性と人間的特性の個人差
第4部 ニーチェにおける至高なもの
感想・レビュー
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あとがき
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有用性の対となる概念、つまり有用性が奉仕するものについて理論化したことは意義深い。/その時間のためだけの時間。対象化されることのないようなもの。 こうした単なる個人的な至高性について語りうることは限られる。/次いで至高性の概念を社会の分析に応用し、王権の維持と革命の力学、共産主義について論じる。その射程の大きさは驚異的だ。 /共産主義は、君主の至高性を否定したが、個々人の至高性が尊重さず、余剰した富は全体の効率性のために用いられ、個人は全体のための有用性に還元される。 共産主義の批判的考察として興味深い。2024/03/11
igi_tur@Le livre
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モースが観察したインディアンのエスカレートする贈物のやりとり、ポトラッチからヒントを得たバタイユによる消費経済の普遍化への試み。バブル崩壊後、もっと顧みられてしかるべき本だった。