内容説明
澤太郎左衛門のオランダ留学の目的は、最高軍事機密である黒色火薬製造法の取得と火薬製造機械の購入であった。苦労の末、目的を果たした澤は、慶応三年三月、最新鋭軍艦「開陽」に乗船し日本へ帰還した。しかし、徳川家は大政を奉還し慶喜は恭順した。品川沖を脱出する榎本艦隊に開陽丸艦長として加わった澤は、箱館へ向かったが…。
目次
第1部 澤太郎左衛門の生い立ちと幼少期の時代背景(生い立ち;幕末の武士の教育と生活―とくに学校教育と砲術について;澤太郎左衛門の幼少期における情勢と高島秋帆)
第2部 長崎海軍伝習所と海軍操練所(幕末の武士の学校教育と砲術;幕府長崎海軍伝習所における砲術の教育;長崎海軍伝習所第二次オランダ教師団と幕府長崎製鉄所;海軍操練所の創設)
第3部 海外留学と箱館戦役(幕末における海外留学生および視察団と使節団;開陽丸とともに帰朝;明治七年洋行中諸入費明細帳について)
補遺 大砲鋳造法 高木兼寛(ヒュギューニン著『リエージュ国立鉄製大砲鋳造法』(手塚謙蔵訳)
海軍軍医総監高木兼寛の脚気予防と撲滅への道)
著者等紹介
霜禮次郎[シモレイジロウ]
昭和12年千葉県に生まれる。昭和37年東京慈恵会医科大学卒業。昭和44年スウェーデン・カロリンスカ大学研究室留学。昭和47年霜整形外科医院開設。昭和52年日本前装銃射撃大会火縄銃部門6位入賞。昭和54年モスクワオリンピック、クレー射撃選手の候補に選出される。平成4年バルセロナオリンピック、射撃選手団監督。日本銃砲史研究会顧問、中島流炮術研究会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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えぬ氏もわるよのぉ