内容説明
神学的立場を異にし緊張関係をはらみながらも、終始深い信頼関係で結ばれ、戦前から戦後にかけて30年以上にわたり師弟の交わりを保ったバルトと滝沢。二人の間で交わされた興味尽きない81通の書簡。
目次
滝沢からバルトへ―ボン 一九三四年一〇月二四日
滝沢からバルトへ―ボン 一九三四年一二月四日
滝沢からバルトへ―ボン 一九三五年四月三日
滝沢からバルトへ―マールブルク 一九三五年四月三日
滝沢からバルトへ―マールブルク 一九三五年五月一九日
滝沢からバルトへ―ボイロン 一九三五年七月一九日
滝沢からバルトへ―ボイロン 一九三五年八月一〇日
滝沢からバルトへ―キルヒドルフ 一九三五年八月一七日
滝沢からバルトへ―キルヒドルフ 一九三五年八月二五日
複写―キルヒドルフ 一九三五年八月一九日〔ほか〕
著者等紹介
バルト,カール[バルト,カール] [Barth,Karl]
1886‐1968。スイスのプロテスタント神学者。バーゼルで牧師の子として生まれる。ベルン、ハレ、ベルリンの各大学で学んだ後、スイスのザーフェンビルで牧師をしていたときに出版した『ローマ書』が反響を呼び、ドイツの大学から招聘され、ゲッティンゲン、ミュンスター、ボンで教鞭を執った。1934年、ヒトラーへの宣誓をめぐり解職されスイスに帰国、以後バーゼル大学の教授を務めた。20世紀の神学界に最も大きな影響を与えた神学者とされる
滝沢克己[タキザワカツミ]
1909‐1984。宇都宮に生まれる。一高から東大法学部に進むが中退、九州大学で哲学を学ぶ。西田幾多郎の薦めでボンのバルトに師事。帰国後は山口高商を経て、1971年に定年を待たず退職するまで九州大学教授を務めた。この間1958年に受洗。独自の神学思想は世界的に高く評価されている
寺園喜基[テラゾノヨシキ]
1939年、鹿児島に生まれる。西南学院大学神学部卒業後、九州大学大学院で滝沢克己に師事。その後ボン大学に留学。九州大学教授、西南学院大学教授、西南学院院長、同理事長を歴任。日本バプテスト連盟福岡城西キリスト教会協力牧師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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