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内容説明
写楽と北斎は画風が異なるという固定観念があった。たしかに写楽のそれは役者絵だけであるから、その表情の写実性からは、北斎の美人画のほっそりとした類型性や、北斎漫画的な諧謔的な表情と共通するところがないように見える。が、それは以後、北斎が役者絵というジャンルを扱わなかったからに過ぎない。表現ジャンルが違うのである。だが、写楽が、わずかながら武者絵や相撲絵を描いたことによって、北斎と通底するものが発見できるのである。また写楽の役者絵は、北斎の青年期、春朗を名乗った時代の役者絵の発展形態である、という結論に至らざるをえない。それは形象の類似性と同時に、線の質が共通するからである。写楽の『大谷鬼次』の顔と手と、北斎の『神奈川沖浪裏』の波は、その迫りくる激しい造形感覚では同じなのだ。そのことを読者に説得しようとするのが、この書の目的である。
目次
第1章 写楽はなぜ、世界に迎えられたのか―日本が世界に誇る浮世絵文化の頂点と、その時代
第2章 写楽を探し出す唯一の方法―美術史の作者同定の手法は、東洋も西洋も同じ
第3章 史料は何を語っているか―『浮世絵類考』が招いた研究者の大混乱
第4章 写楽別人説の検討―なぜ、これほどまでに候補者が出てくるのか
第5章 写楽=北斎説の核心―動かしがたい、これだけの証拠の数々
第6章 華麗なる大首絵の世界―第1期=寛政六年五月興行の役者絵
第7章 生動感あふれる全身像の出現―第2期=寛政六年七、八月興行の役者絵
第8章 天才・写楽の新たなる実験―第3期=寛政六年十一月興行の役者絵、相撲絵
第9章 写楽はなぜ、写楽をやめたのか―第4期=寛政七年一月興行の役者絵と、武者絵
第10章 そして写楽から北斎へ