内容説明
明治十八(一八八五)年に発表された「脱亜論」は、日中朝の三国で手を携えて欧米列強に対峙していこうと考えていた福澤諭吉が、中朝の現状に絶望し、その路線を断念した諦念を表明したものだった。日本は明治以降一貫して、朝鮮が華夷秩序から脱し、独立するよう多大な労力を払ったが、無駄に終わった。一〇〇年たって今日また、韓国は華夷秩序に回帰しようとしている。もはや日本は「一衣帯水」などという幻想は捨てて、中朝韓以外のアジア諸国と、今まで以上に紐帯を強め、連携を深めていかなければならない。
目次
第1章 新しい「脱亜論」の誕生(台湾映画『KANO』が意味するもの;発表当時は注目されなかった「脱亜論」 ほか)
第2章 “特定アジア”三カ国と距離を置くべき理由(“特定アジア”とは何か;二十一世紀のナチズム ほか)
第3章 閉ざされたアジアから、開かれたアジアへ(日台の連帯こそ、東アジアの新基軸;映画『海角七号』が台湾にもたらした変化 ほか)
第4章 アメリカに依存しない“新・脱亜”のあり方(太平洋二分割を米国に提案する中国;米中両国が抱える深刻な内政問題 ほか)
著者等紹介
西村幸祐[ニシムラコウユウ]
1952年東京生まれ。評論家。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中に第六次「三田文学」編集を担当。80年代後半から、主にスポーツをテーマに作家・ジャーナリストとしての活動を開始。2002年の日韓W杯を機に、歴史認識問題や拉致問題に関する取材、評論を展開する。「撃論ムック」「ジャパニズム」をそれぞれ創刊、編集長を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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