内容説明
漱石が生活した町、名作を生んだ家…猫、坊っちゃん、三四郎の舞台は、どのようなところだったのか?都市空間から漱石を読み直す!
目次
第1章 漱石の生涯(喜久井町と夏目坂;神楽坂;寄席;新富座;お茶の水界隈 ほか)
第2章 作品とその世界(吾輩は猫である;坊っちゃん;野分;虞美人草;三四郎 ほか)
著者等紹介
石崎等[イシザキヒトシ]
1941年神奈川県生まれ。1973年早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程満期退学。跡見学園短期大学教授、立教大学文学部教授(1989‐2006年)を経て、日本大学大学院芸術学研究科講師。夏目漱石を中心に、近・現代文学および文化を幅広く研究する。日本近代文学館評議員
中山繁信[ナカヤマシゲノブ]
1942年栃木県生まれ。1971年法政大学大学院工学研究科建設工学修士課程修了。宮脇檀建築研究室、工学院大学伊藤ていじ研究室助手を経て、中山繁信設計室設立。現在TESS計画研究所主宰。工学院大学建築学科教授(2001‐2010年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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なにょう
10
★当時私の家からまづ町らしい町へ出やうとするには、何しても人家のない茶畑とか、竹藪とか、又は長い田圃路(たんぼみち)とかを通り抜けなければならなかった。『硝子戸の中』これは東京のしかも新宿の話である。漱石が子供の時分の。70年前が終戦で、その70年前が明治の御一新である。お江戸の時代は遥かになりにけり。★漱石は慶応の末年―つまり明治とともに育った。江戸を知り、松山や熊本などの地方を知り、英国で痛い目にあった漱石ならではの文明批判の目。漱石自身の住んだ家に、当時注目を集めた建築や場所の絵が満載。2016/07/09
Haruka Fukuhara
4
綺麗な本でした。漱石の作品一覧の年譜を見ていると、小説を書き始めてからは非常に多作だったことがわかる。年に3、4作発表していることはざらで、何も書かなかった年は1度もない。2017/03/21
田中峰和
1
漱石の時代がどんなものだったのか、舞台となった道後温泉や新橋ステーション、帝大の池(のちの三四郎池)の当時の風景をイラストで再現してくれる。牛込第一の繁華街だった神楽坂は、漱石の実家から比較的近場であった。このあたりは、現実に神楽坂芸者と一緒にトランプ遊びに興じた懐かしい場所。「それから」の代助の住まいもこの界隈に設定されている。風景だけではなく、漱石が執筆していた書斎から、修善寺菊屋旅館まで鳥瞰図で紹介される。呉服屋時代の三越陳列所は「それから」にも登場するが、デパート移行前の三越が目の前に甦る。2016/12/07