病院で死ぬのはもったいない―「いのち」を受けとめる新しい町へ

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  • サイズ B6判/ページ数 286p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784393365212
  • NDC分類 498.04
  • Cコード C0011

出版社内容情報

家で暮らし、家で死ぬ―〈在宅ホスピス〉という新たな選択がひらく、地域における看取りの実際と可能性。2人の先駆者が提起する。

内容説明

病・老い・障害・子育てによる孤立を防ぎ、ホスピスケアを地域の困っている人へ広げてゆくコミュニティの未来を伝える希望の書。『病院で死ぬということ』から20年。ホスピスの先駆者による「在宅ホスピス宣言」。

目次

1 地域で死ぬということ―ホスピス医として、二十年考えてきたこと(施設ホスピスで学んだこと;「ケアタウン小平」はじまる;ケアは循環する;在宅から見えてきたこと)
2 普通の暮らしを支える―在宅医として、二十年考えてきたこと(「人は死ぬまで生きているのよ」;コミュニティ緩和ケアの実際;ひとりの物語に聴く;小さな種をまく)
3 病院で死ぬのはもったいない(ホスピスは町のなかへ;在宅ホスピス医という仕事;医師よ、病棟をはなれ、町へ出よう)
4 いのちを受けとめる町へ(臨床からの出発;「ケア」と「医療」のはざま;ホスピスケアからコミュニティケアへ)
5 還りのいのちを受けとめる―老いる、病いる、そして明け渡す(往きの医療と還りの医療;老いる、病いる、明け渡す)

著者等紹介

山崎章郎[ヤマザキフミオ]
1947年、福島県生まれ。千葉大学医学部卒業後、同大学病院勤務。1984年より八日市場市民総合病院(現・匝瑳市)にて消化器医長を務め、院内外の人々とターミナルケア研究会を開催。91年より聖ヨハネ会総合病院桜町病院(東京・小金井市)に移り、05年までホスピス科部長を務める。05年10月にケアタウン小平クリニック(東京・小平市)を開設。現在、ケアタウン小平クリニック院長

二ノ坂保喜[ニノサカヤスヨシ]
1950年、長崎県生まれ。長崎大学医学部卒業後、長崎大学病院第一外科研修。その後、救急医療、地域医療の現場で経験を重ね、福岡市・福西会川波病院(現・福西会病院)等を経て、1996年よりにのさかクリニック(福岡・福岡市早良区)を開業。在宅医としてホスピスに取り組む。05年に、様々な職種とのネットワークによる「ふくおか在宅ホスピスをすすめる会」設立。11年に地域生活ケアセンター「小さなたね」を地域の人々とともに開設。バンラデシュと手をつなぐ会、NGO福岡ネットワークなど国際保健医療の分野での持続的な活動を行っている

米沢慧[ヨネザワケイ]
1942年、島根県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。批評家。少子高齢社会の家族像を模索する「ファミリー・トライアングルの会」世話人。岡村昭彦AKIHIKOゼミを主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かわうそ

11
自分の父も義父も、家で看取った。1950年代、これは普通の風景であり、日常のひとこまであったかもしれない。しかし今や病院で最期を迎える人は約8割。医療や薬の進歩がそうさせたのか、あるいはそもそもの社会の変化によるものか。国は今、地域包括ケアシステムの構築を急いでいるようだが、それはもう今は昔の、古き良き繋がりのある地域文化の再生に近い。折しも先日、奄美のある島が出生率日本一位という記事を見た。そこには豊かな地域性があった。もしかしたら出生と逝去はまとめて考えた方が地域は動きやすいのかもなんて思った。2017/08/08

貧家ピー

2
「病院で死ぬということ」から、早やもう25年。同じ外科医として、ホスピスも目指した山崎氏、在宅ケアを目指したニノ坂氏。講演と対談を基に編集されている。在宅ホスピスの補完的役割が施設ホスピスの本来の役割、との山崎氏の言及が、施設ホスピスのパイオニアだけに興味深い。いのちは長さではない中身、という少女の指摘も重たく感じる。2015/08/09

せろり

2
ホスピスと言う言葉を、やはり私は勘違いしていたようだ。人間は元々、在宅で死ぬものだし、死にいく人を看取っていた。近年、病院で死ぬ人が増えたことにより、我々からそのような看取る能力が失われ、孤独に死んで行っているということ。ホスピスは、看取る人々に助言、サポートしてくれる人達ということ。看取る事により、死に行く人には安らぎと覚悟を、我々は本来の強さを身につけることが出きるのかもしれない。老いた父母が人生を全うできるために、考え方を改め強くなる必要がある。その時は、私の場合そんなに遠くないかもしれない。2013/01/14

すうさん

1
山崎章郎さんの「病院で死ぬということ」を初めて読んでからすでに20年以上が経ちました。その時初めてホスピスのことを知りました。緩和ケアを受けた身内の死がきっかけで、改めて「いのち」のことを考えはじめて、再びこの本に出合いました。いまだ緩和ケアが緩和医療の域を出ないとしても、「看取る人」「逝く人」「おくる人」など、私は深い学びができたと思います。いのちには「往き」と「還り」があり、予後余命こそは、いのちの長さや質だけでなく「深さ」を考えることで、遺族は還りの命を受け止め、逝く人はそれを「受け渡す」のだ。2016/01/25

okatake

0
在宅ホスピスを担っている山崎氏と二ノ坂氏に米沢氏がコーディネータとして携わった対談集。現在は同じ在宅ホスピスで活躍している両氏ですがその歩みは異なります。辿ってきた道は異なっていても今めざしているものは変わりません。これからは、地域をいかにつくっていくか。戦後の高度経済成長の中で崩れていったコミュニティを新たな形で再形成する必要性が出てきており、実際にその動きが出て来ているのです。今後、私もなんらかの形で地域福祉、医療に貢献していきたい。2015/10/28

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