出版社内容情報
はじめ生物は不死であった。では、なぜ生物は死を受け入れ、代わりに何を得たのか。死の仕組みと意味をまず生物学的視点から検討、さらに人間の「主体における」死を哲学的に考察し、死後も存在する可能性を探究。高齢化・大量死時代の新しい死生観の試み。
内容説明
われわれはなぜ死ぬのか。死によって何が失われ、何が残るのか。生命科学、臨床医学、現代哲学を交叉させ、「死」の中核へと、真正面から迫る。
目次
第1部 死は必要なのか―バイオロジーからの検討(生物にとって死は必然的か;人間だけは死を免れることができるか)
第2部 死の瞬間とは―臨床医学とクオリア(人間はいつ死ぬのか―生と死の境界はあるのか;死によって失われるものは何か;死の過程は自分で知りうるものか ほか)
第3部 死は完全な無ではない―現代哲学からの分析(自分という特異点;死後における特異点の残存;死後の孤独と永遠)
著者等紹介
新山喜嗣[ニイヤマヨシツグ]
1957年生まれ。秋田大学医学部医学科卒業。秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻教授。医学博士。専門は、精神医学・大脳生理学・死生学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
99
死についての3つのアプローチ。一つ目は、生物にとっての死は必然なのかというバイオロジーからの検討。二つ目に臨床医学における死の過程より、人の同一性をクオリアに求める考え。最後に現代哲学の分析から、死とともに時間の流れは停止することに行き着く。第Ⅱ部のクオリアの話まではついて行けたが、第Ⅲ部の到達点である“死は完全な無ではない”に至る哲学的考察は全く理解できなかった。人は死んだらどうなるのかという疑問が再び想起された時に再読しようと思う。2022/06/14
Go Extreme
3
死は必要なのか―バイオロジーからの検討: 生物にとって死は必然的か 人間だけは死を免れることができるか 死の瞬間とは―臨床医学とクオリア: 人間はいつ死ぬのか―生と死の境界はあるのか 死によって失われるものは何か 死の過程は自分で知りうるものか 生の連続とクオリア 死は完全な無ではない―現代哲学からの分析: 自分という特異点 死後における特異点の残存 死後の孤独と永遠 永遠は存在するか 死後は時を刻むか 死と共に停止する時間の流れ2022/04/23
TKB84
0
個人的評価:10点中5点 死を、医学的な死と本人の主観としての死の2視点から考えた本。多くは死を逃れられないものと置きそのうえでいかによく生きるかというのが語られがちだが、死という現状を正確に捉えようとしている点が興味深かった。 非常に長く専門的な話も多いが、目次の構成が良いと感じたため、構造的に理解しやすかった。2024/05/15
女神の巡礼者
0
赤の大きな文字で「死」と表示された、インパクト大の表紙に魅せられ手に取った一冊。「死」について三つの面から、考察する、かなり真面目に「死」と向き合った良書でした。まず第1部では「バイオロジーからの検討」として、進化論的な面や、細胞生物学的な面から「死」を考察します。第2部では「臨床医学とクオリア」として、人の死の医学的なメカニズムの考察があり、非常に興味深かったです。そして第3部は「現代哲学からの分析」ここはかなり難解。1・2部で科学・医学的に「死」が解明されても、なお哲学からの論考は必要なのか?2022/09/06