世界の独在論的存在構造―哲学探究〈2〉

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世界の独在論的存在構造―哲学探究〈2〉

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  • サイズ B6判/ページ数 308p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784393323793
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

出版社内容情報

永井均の最新の思索は、私・今・現実の不思議を新たにゼロから徹底的に考えぬく。仏教やインド思想の無我・真我を論じる付論を付す。まさにこのありありとある私ただひとつがある。それは端的な私であり、けっして記憶や性格でもなければ、一般的な意識や精神や魂と呼ばれるものでもないのだが、言葉で語ろうとすると簡単にたくさんある私のなかのひとつとなり、一般的な心というもののひとつの個別事例になって、見失われてしまうのだ。
この私という説明不可能な例外的存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きを起点につむぎだされる独創的思索の広大な射程。長い哲学の歴史のなかで見逃されてつづけてきた、しかし根本的な問題を発見し探究しつづける哲学者・永井均の最新の思索は、私・今・現実の不思議を新たにゼロから徹底的に考えぬく。仏教やインド思想の無我・真我を論じる付論を付す。

永井 均[ナガイヒトシ]
著・文・その他

内容説明

この私という説明不可能な例外的存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きを起点につむぎだされる独創的思索の広大な射程。私・今・現実の不思議を新たにゼロから徹底的に考えぬく。仏教やインド思想の無我・真我を論じる付論を付す。

目次

“私”の存在という問題の真の意味
デカルト的省察―“私”の存在は世界の内容にいかなる影響も与えない
独在性の二つの顔
相対主義とルイス・キャロルのパラドクス
フィヒテの根源的洞察から「一方向性」へ
デカルトの二重の勝利
ものごとの理解の基本形式とそれに反する世界のあり方
自己意識とは何か
いかにして“私”や“今”は世界に埋め込まれうるか
人計から東洋の専制君主へ〔ほか〕

著者等紹介

永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業・同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学文理学部教授。専攻は哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

へくとぱすかる

42
何日もかかってしまったが、ようやく読了。<私>についての永井哲学も、読み始めた頃は、「なぜかこれである」という論点、端的にそうなっている、という点が理解できたら、何となくわかった気になったが、さすがに歯ごたえが違う。可能世界との関連、現実に存在することについての意味の違いなど、著者の言うとおり、単に読書をしているのではなく、自分が書かれたように考えているという気で読まないと、なかなか頭に入らない。いつか再読して、「腑に落ちる」ような理解をしたいと思う。2018/09/27

ころこ

37
〈私〉の問題と〈今〉が同じと読んだ瞬間、〈私〉に感じた問題が吹き飛んでしまった読者は少なくないのではないか、そんな気がします。やはり、今回読んでみて〈私〉の問題と〈今〉の問題は違う。何故違うかというと、〈私〉は私が想像できるけれど、私は〈今〉を想像できない。構造がパラレルなことは理解できますが、〈私〉とは、そもそも私とも永井均とも非対称な、唯一とも表現できないような「何か」だったはずです。構造がパラレルなことで〈私〉と〈今〉が同じだといった瞬間、著者の議論は今までと違う議論に変わったのだと思います。もはや2022/05/21

jjm

11
わかりやすくはないし、普段気にかけることや気づくこともないが、言われてみれば確かに不思議。独在性の<私>は、否定によってしか示されない、固有名詞によって指示することはできない、なぜそうなのかは謎とのこと。哲学者ではない一般人としては、これを追求しても得るものはないので、頭のよい学者さんの話しをウォッチするだけにしようと思う。2020/11/27

テツ

9
永井哲学といえば私と〈私〉。〈私〉と〈今〉とは全く同じ何かを指し示しているのではないかという文章を読んだ瞬間の感覚は忘れない。今ここから開いている世界を主体的に掴んでいる(おそらく)この宇宙の歴史の中で唯一無二の存在である〈私〉について思考し語ろうとすればするほど〈〉が薄れ消えていってしまう。世界を開闢した特異点である筈の〈私〉について知りたいのに、それはいつの間にか一般的な意味での私の問題にすり替わってしまう。このズレにたった独りで気づき、そこから逃れる術を探し続ける姿こそ哲学だよなと感じる。2023/10/19

Amano Ryota

7
なぜ、今までも無であり、これからも無であり続ける<私>が、無でありながらーーこれーーで在り続けるような事態が、世界の独在論的存在構造に組み込まれているのか。今更驚いてみせるのも白々しいけれど、それでもなお驚かざるをえない!独在性を、現実性と中心性の問題に区別し、<私>と<今>が、ものごとの理解の基本形式に収まらない在り方であることを指摘している第7章は、(永井均さんご本人も指摘されている通り)本書の中でも分かりやすい章(とはいえ、通読してからでないと私はそれに気づきもしなかったけれど)だと思う。また読む。2018/11/27

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