“仏教3・0”を哲学する バージョン〈2〉

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“仏教3・0”を哲学する バージョン〈2〉

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  • サイズ 46判/ページ数 293p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784393134306
  • NDC分類 180.4
  • Cコード C0015

内容説明

“仏教瞑想”と“哲学”が出会うとき。瞑想とは何か、他者とは誰か、そして慈悲とは。“仏教3.0”をさらにバージョンアップ。“宗教”の未来を切り拓く、衝撃の鼎談集!

目次

第1章 瞑想と慈悲と他者をめぐって(テーラワーダと“仏教2・0”;瞑想体験の意味するもの;「形相と質料」から「本質と実存」へ―“私”と第五図によせて;他者性と“私”という矛盾;他者へ向かう―梵天歓請・発願利生・慈悲)
第2章 「坐禅は自己の正体である」(「坐禅は自己の正体である」;第五図の坐禅の人―マインドフルネスと禅;二種類の今と私;他者という謎;超越的か超越論的か―プラトン的・アリストテレス的・カント的;生きる方向性―「私」から“私”へ・“私”から「私」へ)
第3章 慈悲と“仏教3・0”(世界の超越論的構成と「自己曼画」;カテゴリーは離脱可能か―解説と覚りと慈悲;純粋悪と自由と慈悲の問題;慈悲のありか;本来性と現実性のダイナミズム―慈悲の瞑想をめぐって)

著者等紹介

藤田一照[フジタイッショウ]
禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。87年渡米、禅の指導・普及に従事、2005年帰国。曹洞宗国際センター前所長。オンライン禅コミュニティ磨〓寺主宰

永井均[ナガイヒトシ]
哲学者。1951年東京生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。信州大学教授、千葉大学教授を経て、現在、日本大学文理学部教授。専攻は、哲学・倫理学

山下良道[ヤマシタリョウドウ]
ワンダルマ仏教僧。1956年東京生まれ。東京外国語大学仏語科卒業後、曹洞宗僧侶となる。米国・日本にて布教・坐禅指導の後、2001年テーラワーダ比丘となり、パオ瞑想メソッドを修了。現在、鎌倉一法庵を拠点に、国内外で坐禅瞑想指導をおこなう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ろくせい@やまもとかねよし

148
2016年発行の続編。刺激的で豊かな読書。提案する仏教3.0は「本来性」と「現実性」の調和。哲学を交え論考する。曹洞宗僧侶の藤田一照さんと山下良道さん、哲学者の永井均さんの鼎談。仏教主題の一つ無我から始める。自己である私。それには全く異なる概念で2つ存在することを主に哲学の超越的と超越論的で解説。さらに話題は他者に。これは難解。しかし、それぞれの哲学的志向からアリストテレス型の藤田さん、プラトン型の山下さん、カント型の永井さんへ分類成功。その上で議論された慈悲。哲学はともかく情緒的に発する利他と解した。2021/05/05

きゃんたか

19
前著は特別な印象もなく読み終えただけに、何気なく読み進めた本書では予想が見事に裏切られてしまった。今回のポイントは何と言っても、前著でうやむやに片付けられてしまった「悟り」と「娑婆」の違いを、カント哲学を援用して口説いくらいに追求している点。また、キリスト者にも興味津々な「慈悲」(キリスト教で言うアガペー)の在り処を、「智慧」との違いを示しつつ出来うる限り明らかにしている点。ここをはき違えるとオウムのような生き地獄に堕ちかねない。「慈悲なしに下手に(客観的な世界から)出ると必ず狂気におちいる」には痺れた。2021/08/14

takeapple

12
前著に引き続き、哲学者の永井均さん、僧侶の藤田一照さん、山下良道さんが、内山興正老師の自己曼画について、マインドフルネスについて、我についてなどの鼎談をしたものをもとに書き起こした本である。議論の行く末が気になり一気に読み進めた。元々ある日本仏教、最近流行るテーラワーダ仏教、そして藤田、山下両師が提唱する仏教3.0がどう違って、これからどうするのがいいのか色々考えた。2020/08/16

jjm

10
前著から引き続き、わかるようなわからないような。仏教と永井さんの哲学に折り合うところがあるのか謎。<私>が存在することの不思議の件では、普通は不思議と思わないことを不思議と思うところが、さすが哲学者と思う。地球上に一人しかいない&他人がいる可能性を想像するという思考実験では、確かに何を想像したらよいかわからないだろうし、そういう人がいれば、もう一人の自分がいると思うかも。あとがきで僧侶の山下さんが、只管打坐とマインドフルネスは絶対的に矛盾していると書かれているのには衝撃を受けた。2020/11/17

Entrog

8
「仏教を哲学する」というその趣旨に反して、残念ながら、仏教と哲学の話が別々にされていただけという印象が拭えない。特に僧侶の二人の語り口が雲を掴むような感じで、哲学者のように言語化の訓練をしていないとなかなか難しいと思わざるを得なかった。ただ永井ファンなら本書からもまた新しい哲学の知見を得られるだろう。この点に関して、2・3章にカントの解説が書いてあるが、もしかするとこれは日本語で読めるカントの解説の中で最良のものなのではないか?と言うより、これ以外にカント哲学の神髄を剔抉できた文章を読んだことがない。2020/02/27

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