出版社内容情報
河合正治[カワイマサハル]
著・文・その他
内容説明
独裁者の父は暗殺され、兄は早逝した。社会が大きく変動して武断の将軍が求められている時期に、文の人足利義政は幼少にして権威の座につくという運命にあった。応仁・文明の大乱の責任もその一半は義政にあり、かれの政治は失敗の連続であったが、乱後の京都の復興と、東山山荘での幽玄・枯淡なかれの文化生活は、興隆期の地方武士や庶民に大きな刺激を与え、芸能文化の基調となった。足利義政に関する著書が少ないなかで、本書では義政の全体像をとらえ、さらに東山文化とその担い手たちの姿を、豊富なカラー図版を掲載しながら描いたものである。
目次
1 激動の谷間(独裁者の子;嵐の前の長禄・寛正期;盛り上がる社会意識)
2 応仁の乱(細川勝元と山名宗全;猛将と足軽;乱後の復興)
3 東山文化(東山山荘の生活;東山文化の担い手)
著者等紹介
河合正治[カワイマサハル]
1914(大正3)年、三重県に生まれる。広島文理科大学史学科卒。広島高等師範学校教授、広島大学文学部教授、福山大学教授を歴任。広島大学名誉教授。文学博士。1990年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
6
応仁の乱の発端は室町幕府管領の畠山氏と斯波氏の家督争いだが、さらに細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、将軍足利義政の継嗣争いが加わった。義政が出家している弟の義視を還俗させてまで後継者にしたとたん、男子が生まれて手のひら返し。秀吉の跡継ぎ秀次は我が子可愛さから罪をきせられ処刑された。義政はそれほどひどいことはしなかったが、細川と山名がこの継承問題で対立し東軍・西軍に分かれて争いが始まった。妻の日野富子の影響も大きい。細川方の東軍は将軍と天皇・上皇側なので官軍、山名方の西軍は西陣の地名の由来となる。2019/08/30
ジュンジュン
5
足利義政時代の光と影、東山文化と応仁の乱。なぜ両立しえたのか正直よくわからなかった。この時代の、あるいは侘び寂びの基礎知識が欠けているからだろうか?2020/02/20
イツシノコヲリ(丹波國)
3
本屋で自由価格本で半額になっていたので購入した。今から40年前に書かれた著作だが、一次史料を丁寧に読み解き、客観的な記述であるのが良い。2024/03/31