感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
6
「「旅学問」ということばが、好んで用いられたのは、学者文人なら各地の有識同好の士にめぐり合い、お互いに啓発し合う喜び、文盲の庶民は心の眼を見開いて、未知の世界に分け入ったことが背景となっていよう。越後長岡藩の河井継之助は、戊辰戦争で政府軍と戦い敗死したが、政府要人からその死を惜しまれた…かれには旅行記『塵壺』があり、安政六年長崎見物の折のものであるが、その年西国ではコレラが猛威をふるい多くの人が死亡する」1817年カルカッタ発のコレラは海を越え、長崎から日本に上陸したという。安政時も長崎発祥であるという。2020/10/01