内容説明
芭蕉は門人たちに俳句をどのように教えていたのか。また門人たちはそれをどう受けとめ、作句に生かしたのか。『去来抄』にまなぶ、俳句表現の新しい手引き。
目次
第1章 芭蕉劇場(芭蕉劇場;雉子は恋に痩せるか ほか)
第2章 こどもの秀句、おとなの醜句(視点は自由自在;こどもの秀句、大人の醜句 ほか)
第3章 切れこそ句のいのち(イロニーは俳句の心;富士には月見草、馬には梨子の花 ほか)
第4章 猫の恋、人の恋(丈草の真情、芭蕉の心情;猫の恋、人の恋 ほか)
第5章 「かるみ」談義(時鳥の景情、明石の景情;景情ありのまま―蕉門のめざしたもの ほか)
著者等紹介
堀切実[ホリキリミノル]
1934年、東京都生まれ。早稲田大学大学院修了、文学博士。現在、早稲田大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かふ
18
芭蕉の俳論(俳句ではなく、俳諧論だと思うのだが)が多く残っているのは芭蕉が書いたというよりも弟子たちが残した俳諧の秘伝書的なようなものとして語り継がれてきている。それが向井去来の『去来抄』であり、服部土芳の『三冊子(さんぞうし)』が代表される。その『去来抄』に蕉風俳諧の教えを見ようというのが本書のスタイルのようだ。弟子たちが師匠を崇めて書くので『聖書』的というか孔子の『論語』的に感じられるのはそこに他者による批評がないので「俳句談義」となっているのを堀切実が批評している感じの本なのだろうか?読みにくい。2024/11/17
良さん
0
芭蕉が弟子のレベルに合わせて教え諭すその仕方は孔子と似ている、と思った。 【心に残った言葉】芭蕉はとくに短詩型表現の本質が余韻・余情にあることを、しっかりと認識していました。…だから、まず発句では“言ひ残す”こと、“いひ果てぬ”ことが強く要求されるわけです。(58~59頁)2012/03/30
たつのすけ
0
◎2016/01/21
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- 和書
- ゆめくい小人