内容説明
明治維新後、新政府は「奥羽人民告諭」を布告した。それは、勝利に驕る者が、敗者に対する侮蔑の告諭であった。さらに「白河以北一山百文」と東北を蔑称。錦旗に翻弄される東北の人びとの歴史的辛酸と冷酷な処分の不義を、歴史のジャーナリストが怒りをこめて描く。
目次
1 東北の明治維新―反薩長と奥羽戦争
2 奥羽北越同盟―勤王をめざした興亡
3 白河以北一山百文―青森県の明治維新
感想・レビュー
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印度 洋一郎
4
青森県の地方紙「東奥日報」の記者であった著者が、その紙上で連載していたコラムを元にした東北地方の幕末維新史。有名な会津ではなく、列藩同盟の盟主仙台藩や東北でも勤王色の強い秋田藩、そして新政府軍司令部の奥羽鎮撫総督府などに着目した流れにした事で、奥羽全体の去就がわかりやすい。奥羽越諸藩は積極的に佐幕というよりも、会津討伐に納得いかず、戦乱も又望まずという態度だったが、結局戦う羽目に。しかし、全体的に戦意は乏しく、積極的に戦った藩の少なさがそれを表している。奥羽内にも大藩に逆らえず、同盟に参加した小藩もあった2021/07/13