内容説明
1995年8月、「日中親善高等学校女子硬式野球大会」として日本初の女子硬式野球大会が開催された。出場校は日本から2校、中国から1校という小規模な大会であったが、女子硬式野球の歴史の幕開けであった―。私財を投げ打ち、奮闘した四津浩平と、その遺志を受け継いだ人々の軌跡を描く感動のノンフィクション。
目次
第1章 四津浩平の物語―苦節十年の記録(たった一人の挑戦;元女子ノンプロ野球選手の協力 ほか)
第2章 監督と選手の物語―6校が歩んだ道(駒沢学園女子高校の物語;神村学園高等部の物語 ほか)
第3章 市島シニアクラブの物語―春の全国大会誕生(密談;雲の上の人 ほか)
第4章 それからの物語―環境を広げた人々(底辺拡大と頂点の誕生;遺志を継ぐ者たち)
女子野球データルーム
著者等紹介
飯沼素子[イイヌマモトコ]
東京都生まれの千葉県育ち。県立船橋高校および千葉大学卒業。卒業と同時に(株)婦人生活社に勤務し、のち(株)世界文化社へ。一貫して婦人誌作りに携わる。結婚、出産後、もっと子育てに時間をとりたくてフリーライターに。息子が少年野球を始めたことから野球雑誌の仕事を始め、女子野球の取材は平成20年から。情報があまりにも少ない女子野球界を憂え、平成23年より軟式から硬式、子どもから大人までの情報を発信するウェブサイト「がんばれ!女子野球」を運営
濱本光治[ハマモトミツハル]
昭和31年(1956)、広島県呉市生まれ。崇徳高校卒業(野球部在籍)。千葉商科大学商経学部卒業(日本傳拳法道部在籍)。昭和53年、佐藤栄学園・埼玉栄高校に英語科教諭として奉職し、同校硬式野球部コーチに。昭和57年、花咲徳栄高校の開校に伴って異動し、硬式野球部、空手道部監督を経て平成13年、女子硬式野球部監督に就任。平成19年から平成国際大学女子硬式野球部監督に。平成28年定年退職。現在、一般社団法人全日本女子野球連盟副会長、全国高等学校女子硬式野球連盟代表理事、全国大学女子硬式野球連盟理事長、関東女子硬式野球連盟副会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
MOKIZAN
小木ハム
このえ