花咲くベースボール―女子硬式野球物語

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  • サイズ B6判/ページ数 230p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784344974937
  • NDC分類 783.7
  • Cコード C0095

内容説明

1995年8月、「日中親善高等学校女子硬式野球大会」として日本初の女子硬式野球大会が開催された。出場校は日本から2校、中国から1校という小規模な大会であったが、女子硬式野球の歴史の幕開けであった―。私財を投げ打ち、奮闘した四津浩平と、その遺志を受け継いだ人々の軌跡を描く感動のノンフィクション。

目次

第1章 四津浩平の物語―苦節十年の記録(たった一人の挑戦;元女子ノンプロ野球選手の協力 ほか)
第2章 監督と選手の物語―6校が歩んだ道(駒沢学園女子高校の物語;神村学園高等部の物語 ほか)
第3章 市島シニアクラブの物語―春の全国大会誕生(密談;雲の上の人 ほか)
第4章 それからの物語―環境を広げた人々(底辺拡大と頂点の誕生;遺志を継ぐ者たち)
女子野球データルーム

著者等紹介

飯沼素子[イイヌマモトコ]
東京都生まれの千葉県育ち。県立船橋高校および千葉大学卒業。卒業と同時に(株)婦人生活社に勤務し、のち(株)世界文化社へ。一貫して婦人誌作りに携わる。結婚、出産後、もっと子育てに時間をとりたくてフリーライターに。息子が少年野球を始めたことから野球雑誌の仕事を始め、女子野球の取材は平成20年から。情報があまりにも少ない女子野球界を憂え、平成23年より軟式から硬式、子どもから大人までの情報を発信するウェブサイト「がんばれ!女子野球」を運営

濱本光治[ハマモトミツハル]
昭和31年(1956)、広島県呉市生まれ。崇徳高校卒業(野球部在籍)。千葉商科大学商経学部卒業(日本傳拳法道部在籍)。昭和53年、佐藤栄学園・埼玉栄高校に英語科教諭として奉職し、同校硬式野球部コーチに。昭和57年、花咲徳栄高校の開校に伴って異動し、硬式野球部、空手道部監督を経て平成13年、女子硬式野球部監督に就任。平成19年から平成国際大学女子硬式野球部監督に。平成28年定年退職。現在、一般社団法人全日本女子野球連盟副会長、全国高等学校女子硬式野球連盟代表理事、全国大学女子硬式野球連盟理事長、関東女子硬式野球連盟副会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

MOKIZAN

28
高校生を主軸として女子硬式野球の拡がりを追っている。スポーツに関する権力を持ち合わせていない一市民の信念と、純に野球活動を渇望する女子中学生、高校生達の存在が、二の足を踏んでいた学校経営者達の心を突き動かし、全国大会の実施に至らせ、現在も裾野が広がり続いている綴られています。途中、善意の支援者たらんとするマスコミを、学校側が意思統一して断る段は爽快だったのだが、後の方のスポンサー企業が連呼される箇所は辛かった。仕方ないんですけど。何より残念なのは、私が兵庫県市島町のこと、位置を全く知らないことでした。2016/08/05

小木ハム

9
女子硬式野球が根づくまで。実は1950年に女子プロはあったけど、ノンプロ(企業)化を経て1971年には消滅。以降長らく『硬式野球は男がやるもの』というパラダイムができた。現在女子野球が普及できているのは四津浩平氏(故人)が私財を投げうって築いた土壌があるから。硬式は危険だという意見は現在も強いけれど、個人的には『顔や体に痣が残るかもしれない。それでも、やりたい』という覚悟を持っているなら思う存分やらせてあげたらいいと思う。本書は女子野球部を擁する六つの高校のエピソードが書かれているのも良かった。2020/08/19

このえ

2
★★★☆☆ 女子硬式高校野球の歴史。女子硬式野球のためにこんなにも尽力した人がいたのか。息子の通っていた花咲徳栄高校の女子野球部も載っていた。2016/10/30

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