内容説明
「絶対一番なるんじゃ」。かつての野球少年達が選んだ芸人への道。焼け付くような焦りの中を頂点目指してもがき、ついに売れると確信した時、相方を劇症肝炎が襲う。人生を託した相方である友の再起を願い、周囲に隠し続ける苦悩の日々…。今なお、芸人に語り継がれる若手天才漫才師の突然の死と、短くも熱いむき出しの青春が心に刺さる感動作。
目次
第1章 高山少年
第2章 河もっちゃん
第3章 NSC
第4章 ベイブルース
第5章 兆し
第6章 25歳と364日
第7章 光
著者等紹介
高山トモヒロ[タカヤマトモヒロ]
1968年大阪市生まれ。NSC大阪7期生。88年、NSCにて河本栄得と漫才コンビ、河本・高山を結成し、卒業後、ベイブルースと改名。94年10月、河本栄得永眠にともないベイブルース活動休止。2001年11月、和泉修と漫才コンビ、ケツカッチン結成(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ニッポンの社長ケツそっくりおじさん・寺
60
皆様はベイブルースという漫才コンビを御存知だろうか?。同期には雨上がり決死隊がいる。雨上がりやナイナイが天然素材で東京進出した後、大阪で千原兄弟と覇を争った感のあるコンビだった。当時私は京都にいたので、彼等の活躍を見ていた。確かに面白い漫才だった。しかし1994年、ボケの河本栄得(かわもと・えいとく)が25歳の若さで急逝。今なお惜しまれる。生きていれば全国区になったかはわからないが、トミーズの様な大阪を代表する中堅にはなっていただろう。生き残った相方、高山が河本との出会いと別れを中心に書いた自伝。お薦め。2016/07/15
つな
6
お笑いは主にM-1世代で、ベイブルースは一世代前なので、正直あまりしらなかったのだけれども、テレビでの映画のCMがやけに目に留まり、気になって気になって仕方なくなって購入。 読み出したら止まらない止まらない。読むのが遅い私ですが、260ページあまりを2時間ちょっとで一気に読了。 感動し、こみあげるものがあり。 「河本、なんでそんなに生き急ぐねん。」 私がテレビで見た記憶のない河本栄得という人間の生き様はすさまじいものであったが、その言葉の中や行動に、彼が「プロ」であることを見た。 プロだからこそ感動2014/10/10
長島芳明
4
良かった。とても良かった。一気に読んでしまった。関東だったせいかベイブルースはテレビで数回しか見てなく「面白いな」と思っていた。相方が亡くなっていたとは知らなかった。てっきり関東進出せずに関西を拠点にしていたと思っていた。とにかく良かった。2018/04/20
CEJZ_
2
1P16行。2年前の文庫購入時、映画化のオビがあり、映画化されたんですね。監督は著者自身の高山トモヒロ。映画は見てません。ベイブルースという漫才コンビ、わたしは全く知りませんでした。ケツカッチンというコンビは知ってます。和泉修氏と、なんだかその後輩っぽいのが組んだなあと傍観してましたが。単にある漫才コンビの誕生と別れの、パーソナルなエピソードにひかれ、本書を読んでみました。今の時代なら動画サイトでベイブルースの漫才は見られるんでしょうね。雨上がりとNSC同期という部分に、へぇーです。2016/09/01
来未
1
河本栄得と高山トモヒロの漫才コンビ「ベイブルース」コンビのことは知らなかった。高校の野球部で出会い、親友となり、漫才コンビとしてベイプロとしての仲間?戦友?言葉では言い表せないくらいの深い間柄。芸能界で生きるという期待感、自惚れ、覚悟、過酷さ、様々なの中、相方の突然の死…そこからの転落…僕にはここまで思える仲間はいない…高山の苦悩は正直わからないけど、そんな仲間がいることに羨ましくも思う。相方の死から立ち直るあたりの文中にでてくる一つ一つの言葉…逆境を跳ね除けた人の言葉は、心に響き、染み渡る。2020/02/03