内容説明
待望の妊娠がわかった後に、晃子は脊髄悪性腫瘍と宣告される。治療か出産か。彼女が選んだのは、子供の命だった。無事女の子を出産するも病状は悪化。わずかに残された時間の中で自分にできることは何か。晃子は「いつか母として娘に伝えたいこと」を、未来に向けて綴り始める。友達、勉強、おしゃれ、恋…。母から娘への愛情溢れる感動の手記。
目次
ゆりちかへ(リョーニャのこと(パパのこと)
けんか
お友だち
子どものころ ほか)
晃子とレオニド出会いと別れ(晃子の生い立ち;レオニドの生い立ち;二人の出会い;晃子とレオニドの子ども時代 ほか)
著者等紹介
テレニン晃子[テレニンアキコ]
1972年2月6日、佐賀県唐津市に生まれる。大学より福岡県福岡市へ。福岡市内で就職。テレニン・レオニドと出会い、2002年4月1日に結婚。妊娠中の05年秋に、脊髄悪性腫瘍だとわかる。その後、06年2月6日に長女・柚莉亜が生まれる。育児をしながら闘病生活を送っていたが、08年2月25日逝去。享年三十六歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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hushi亜子
43
死にたくない、生きたい、生きたい、生きたいよ。怖いよ、死ぬの怖いよ、皆で一緒にずっと過ごしたいよ。 その通りだよな。生んだばかりの我が子と、愛する夫と、いつまでもいつまでも一緒にいたいよな。 それ以外の言葉、希望はないよ。 痛くないように、動くように、もちろんあるけど。 本当にさの所は、治りますように。なんだよな。 素直すぎて、ぐっときた。2018/07/31
ひな
22
大切な人と結ばれ子どもを授かった幸せな日々の中 ”脊髄悪性腫瘍” と宣告された晃子サン。たまに壁にぶち当たった時 ”神様は その人に乗り越えられない試練は与えない” との言葉に勇気づけられる時があるが・・・こんなに大きく悲しい試練はないでしょう神様・・・。そして母に想いを移す。私の母は135cmほどの小さな人。私を妊娠した時、小さな体ゆえの厳しい出産と言われ、その妊娠中に離婚が決まりシングルマザーになる事が わかっていた。心細さと不安で怖かっただろう。晃子サン、そして母・・・愛を貫く”母”の強さに感謝。2018/09/19
友蔵
15
上手く言えないけど、強いなと思う強くて優しい。これが愛というものなんだなと思う。確か、生まれてきた柚莉愛ちゃんは今11歳だったか。。この歳になってようやく読む決意ができたそう。母の想いが生きる上での支えになってくれると思う。胸を張って生きてほしいなと思う2018/09/18
Judy
12
今この本を読むことができて良かった。闘病記がノンフィクションなので辛くも感じたし、母として産まれた赤ちゃんとの未来が失われていく感覚、悲しみや悔しさがリアルに伝わってきた。闘病はその人にしか分からない苦痛。それでも私にも想像できる葛藤や苦しみもあり、やはりこのタイミングで読むことに意味があったように思える。母子共に生き延びることの奇跡を1日1日噛みしめることができる。病を克服できた事に感謝することができる。将来我が子に寄り添い思いを伝えていける可能性がある。彼女の強さや愛はとても胸に残りました。2018/10/28
みき
9
途中から涙が止まりませんでした。私の祖母は後遺症で三年前から右半身が麻痺しています。疾患は違いますが、自分のからだが思い通りにならなくなるつらさを思うと、その姿を重ねずにはいられませんでした。これから成長していく我が子の姿をそばで見守ってあげる、そんな当たり前のようなこともできないなんて…。母の想いはすごくすごく深くて大きいものなのだなと感じました。私自身、医療を学んでいる学生でもあるので、身が引き締まる思いがしました。当たり前のことに感謝をして生きている人になりたいです。2015/04/04