内容説明
病と向き合い、命をかけて伝えたかった「生きること」の本当の意味。「稀代の行者」が遺した最後のメッセージ。
目次
1 ガンを知る、おのれの不始末を知る
2 病と向き合う
3 死は怖いものではない
4 結縁
5 歩くことが生きること
6 「苦」を「楽」にする知恵
7 いま、この瞬間を大切に
8 夢と現実の狭間で見たもの
9 愛別離苦
10 この世に命を授かりもうして
著者等紹介
酒井雄哉[サカイユウサイ]
1926年大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科練へ志願し、特攻隊基地・鹿屋にて終戦。戦後、職を転々とするがうまくいかず、比叡山へ上がり、40歳で得度。約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の二度満行。その後も国内外各地への巡礼を行った。98年より比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。2013年9月23日死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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NAO
57
戦後13人しか達成していない比叡山の荒行「千日回峰行」を二度も満行し、大峯山の奥駆けや、日本各地の巡礼の旅も徒歩で行った天台宗大阿闍梨酒井雄哉師の、最後のインタビュー集。「縁」の大切さ、「命」の尊さをこれほどまでに真摯に語ることができるのは、師がこれまで真剣に「縁」と「命」に向き合って生きて来たからだが、86歳という高齢で癌の大手術を受けたあとの言葉は、静かで重いながらも、秋の澄み渡った空のようにからりとしている。大切に身近に置いて、繰り返し何度も読み返したい本。 2016/10/24
aloha0307
18
寂聴さん書をきっかけに阿闍梨さんを知りました。千日回峰行を2度も成し遂げられ、9日間断食・断水に加え、何と寝ずに読経し続けるという。己のような凡人には想像もつきません。先生のこの世&彼岸への諦観(あきらめ というのでは決してなく)がずっしりとこころに迫ってくる。「この世に何しに来たの?」 命のろうそくが燃え尽きるまで(自ら消しては決していけない!)、一日一日を精一杯生きていこう!そして、その姿を誇らしく、元気いっぱいに娘に語れるように...2016/12/03
バニラ風味
17
修行を積んで大阿闍梨となった著者。他人の健康には気遣っていたが、気が付けば自分がガンに。人間はいつか死ぬ。その原因が、たまたまガンなのだという拒否しない考え方は、なかなかできるものではない。この世に授かった命だから、大切に、感謝して生きたいという気持ちが書かれたこの本は、今の若者たちにも読んで欲しい。また、死についての記述も、とても興味深い。2016/10/31
なにょう
11
2013年9月、酒井さんがお亡くなりになる前の最後のインタビュー。いいね。★死ぬのが怖い。ならこう考える。死んだら閻魔さまの前に行って、生前の所業を論文にしたものを開陳する。そんなら、今このときを少しずつでも充実させて、自分なりの論文を書いていくしかない。コピペはできない。★三日坊主になる。決めたことをやり通せない。ならこう考える。仏様だか神様とやり遂げることを約束する。そしたら、めんどくさいなあと思っても約束があるんだったって、諦めないでやり遂げられるかもって。2023/04/15
犬養三千代
9
天台宗大阿闍梨、酒井雄哉さんへのインタビュー。 行き道はいずこの里の土まんじゅう。 命もうけつがれて生まれ変わっていくものだけど、人間も人生の中でめぐり合わせによっていくらでも生まれ変われるんじゃなちのかな。 身口意三業とは体を動かし、呼吸を整えて、心を落ち着かせる。 情は我欲。 むりせず、いそがず、はみださず。 りきまず、ひがまず、いばらない。 そんな境地になりたいものだ。2019/08/28