内容説明
サッカーにすべてを捧げた男。希代のストライカー、その実像。足が折れても走り続ける熱情の源を、自身の言葉と関係者の証言で明らかに!
目次
なにもないから中山雅史
いま、悪いということはこれからかならず良くなるということだ
ウルトラマンになるようなつもりだったのかな
走りつづけ、意地を張りとおすだけだ
生涯最高のゴールは?と質問されたら
見えない枠のなかでプレイしているかのようだった
開いた穴を放っておくと、どんどんくずれていく
監督と衝突しようとは思わない
達成感を味わったことは一度もなかった
いくら泳いでも岸にたどりつけないような気分だった〔ほか〕
著者等紹介
中山雅史[ナカヤママサシ]
1967年静岡県生まれ。静岡・藤枝東高、筑波大を経て、1990年に日本リーグのヤマハ発動機(現J2・ジュビロ磐田)に入団。J1歴代最多の157ゴールを記録し、98年に最優秀選手(MVP)、同年と2000年には得点王に輝く。日本代表としても通算53試合で21得点。ワールドカップ(W杯)2大会に出場し、98年フランス大会ではジャマイカ戦で日本選手として史上初得点を挙げた。2012年、一線を退くことを発表
時見宗和[トキミムネカズ]
1955年神奈川県生まれ。「月刊スキージャーナル」編集長を経て独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
*
4
両膝の半月板を失っても「サッカーは手段ではなく、小さいころからずっと目的だった」からボロボロになるまで戦い続けた。U-20代表監督の内山篤さんも、そんなゴンさんを間近で見てきたからこそ、若手選手の奮起を促す言葉には切迫感がある。「15歳でトマトを食べられない選手は、もう食べられない」▼ジュビロのJリーグ参戦を決定的にした地が、磐田ではなく海老名だったことに驚いた。2017/11/05
yamabon
3
ブラジルW杯・日本vsコートジボワール、エースのドログバがタッチラインに立ち、ピッチに足を踏み入れた時の空気の変わりよう。僕たちは同じものを知っている。そう、僕らの代表には中山雅史がいた。中山ほどサッカーにすべてをささげ、常に「全力」であることにこだわり、闘っている選手がいただろうか。彼の全盛期を見ることが出来た僕たちは幸せだったと思うし、彼の魂は引き継がれなければならない。今の日本サッカー界で彼の魂を引き継いだと言える名前を挙げられないでいるうちは、W杯優勝など夢のまた夢でしかないだろう。2014/08/14
Kumiko Fukasawa
2
サッカーをいちばんにしているか、そのための努力をしているかと聞かれたら、していると言い切れる。2015/05/25
じゅん
2
熱い男!すっごく惹かれる♪ バレンタインに結婚式♪温かくて幸せな心をもらったけど、燃えるような熱い心もいいね♪ またまた、ファンになった!2015/02/15
きよにやコータロー
2
ゴン中山雅史選手の生き様が伝わったスポーツ伝記でした。泥臭くても、ゴールへの執念や、選手時代の心の葛藤が意外でした。