内容説明
“尽果”バス停近くの定食屋「まぐだら屋」。様々な傷を負った人間が、集まってくる。左手の薬指がすっぱり切り落とされている謎めいた女性・マリア。母を殺したと駆け込んできた若者。乱暴だが心優しい漁師。そしてマリアの事をひどく憎んでいる老女。人々との関わりを通して、頑になっていた紫紋の心と体がほどけていくが、それは逃げ続けてきた苦しい現実に向き直る始まりでもあった…。生き直す勇気を得る、衝撃の感涙長編。
著者等紹介
原田マハ[ハラダマハ]
1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年独立。フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍。05年「カフーを待ちわびて」で、第一回日本ラブストーリー大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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風眠
296
脱いだジャケットのポケットの中で震え続ける携帯電話。母親が教えてくれた歌を探して佇む菜の花畑。罵声を浴びせられながら、じっと頭を下げ続ける女。死んでいた携帯が一瞬生き返ったとき。おいしかった、ありがとう、また来るよ、の言葉たち。真っ白い雪の中にあざやかな紅葉の紅。そんな日常の中にある、非日常的なシーンがとても印象的だった。死にたいと思いながら生きていくこと、そして、生きていくことが償うことだと自分に言い聞かせて生きること。辛い選択をしても、受け入れてくれる故郷があることの幸せに泣きたくなる、そんなお話。2011/12/21
ダイ@2019.11.2~一時休止
255
東京で起こった事件から逃げてきた主人公が田舎での新生活。いろんな人の繋がりが最後にはいい関係になって良かった。2014/08/07
れみ
238
主人公の紫紋がたどりついた尽果(つきはて)という村の崖っぷちにたつ食堂「まぐだら屋」が舞台のお話。食堂を切り盛りするマリアと経営者である女将さんとの間の不穏な空気や終盤語られる過去の出来事とか、紫紋が東京で関わった事件とか、シリアスな要素が多いのに、登場する人たちのひたむきな思いを感じられ温かい気持ちにさせられ、二十話ではとうとう泣いてしまった。図書館で見つけて、原田マハさんは読んだことなかったうえにタイトルがちょっと面白いなあくらいの感じでなんとなく借りてきたけど、出会えて良かったと思える作品でした。2013/11/25
ヨミー
230
ずっとタイトルが気になっていた作品でした。イメージはもう少し軽い感じの料理屋でのお話だと思って読んだら、だいぶ違う重めな作品でした。崖っぷちにいる人でも、人の役に立つことで生きがいがもてるし、前に前進することで明日への生きる希望になる。何があっても子を想う親の無償の愛の大きさや、どんなに苦しくても死を選ばず、生きて苦しむことの大切さを深く感じた。何か決断し行動するにはタイミングがあり、それをじっくり待ってあげることも大事なこと。最後は、前向きになれる素敵な読了感でした。2015/01/26
文庫フリーク@灯れ松明の火
214
【何も無い場所だけれど、ここにしか咲かない花がある。心にくくりつけた荷物を静かに降ろせる場所】自ら犯した罪をぶちまける丸弧。静かに両腕を差出し、何も問わず丸弧の一切を受け入れるマリア。罪を背負い、今も贖罪を続けるマリアだからできる、もの言わぬ抱擁。新約聖書の「マグダラのマリア」は性的不品行から「罪の女」と呼ばれ、イエスによって改悛した聖女と聞く。罪は自らが意識しなければ罪となりえない。罪の意識無しに贖罪も、同じ罪人を包容する心も生まれない。「きっと嬉しいのよ。誰かの役に立ってる、ってことが」罪人たる→2013/10/30