目次
五十七年目の夏に(一枚の写真;許せない歌 ほか)
運命の足音がきこえる(深夜に近づいてくる音;幸田露伴の運命論 ほか)
新しい明日はどこにあるのか(見える世界と見えない世界;一瞬の「恥」や「畏れ」を抱かせる ほか)
命あるものへの共感から(いま根底から問われている人間中心主義;戦争の時代をのりこえて ほか)
運命の共同体としての家族(「働く女」としての母親像;「物語る」ことへの欲求の芽ばえ ほか)
著者等紹介
五木寛之[イツキヒロユキ]
昭和7(1932)年9月福岡県に生まれる。生後まもなく朝鮮にわたり22年引揚げ。27年早稲田大学露文科に入学。32年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどをへて、41年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞、42年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞、51年「青春の門」筑豊篇ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。56年より一時休筆して京都龍谷大学に学ぶ。平成13年春アメリカで刊行された英文版『TARIKI』は、2002ブック・オブ・ザ・イヤー(スピリチュアル部門)に選ばれた
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感想・レビュー
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せっちゃん
20
昭和7年生まれ、両親は朝鮮に渡り、学校の教師をする。1945年【昭和20年】日本が戦争に破れ、平壌【ピョンヤン】にて、母親が亡くなる。凄い話だった。もし自分が五木さんの立場だったら、と思うと、へこたれているに違いないので、もっと本を読んだりして、賢くなりたいと思った。初めての著者。2023/07/16
りょう君
8
今年は戦後70年ですが、これは戦後57年に書かれた告白的人生録で実話です。五木寛之氏の両親は教師でした。終戦の時、本人は12歳で家族は植民地の朝鮮のピョンヤンに居ました。当時ソ連は日ソ中立条約を破って敗戦の直前に日本に宣戦布告しましたが、ソ連兵が朝鮮にも来て日本人に略奪、暴行、レイプを繰り返したそうです。五木氏の病気の母親はソ連兵に暴行され、家は接収されその直後に亡くなったそうです。九州に引き揚げた後、父親はアル中のようになり55歳で結核で亡くなったそうです。ロシアは未だに北方領土を返還していません(涙)2015/08/09
井坂 茜
3
満州での話、引き揚げの話、昭和初期の「大学は出たけれど」「生れてはみたけれど」の流行語、その時代を生きた人のなまの声だと感じる。こうして「のこす」ことは思い出さなきゃいけなくて辛いこと。だけどこれからを生きる世代としては、出来るだけのこして欲しいと思う。2015/02/06
natukoba
2
最初2章でお腹いっぱいに。五木氏は12歳の時平壌で終戦を迎える。その時のお母さんと妹に対する負い目。何年経って口にすることができたのだろう。大学の露文を選んだ時、氏の父親が「ソ連は敵だ」といった言葉が心に残る。2017/10/09
クロッチ
1
五木さんの本はいろいろと読んでいるので、今ままでに読んだ内容のことがいくつか出ているけど、そんなことは抜きにして常に共感することが多々なんだよね。生きているってすごいことなんだと思わせる一冊です。2019/05/15
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