出版社内容情報
秋成から綾足、鏡花、漱石からラヴクラフトを題材に気鋭の近世・近代文学者達が《怪異》がいかに読まれ書かれてきたかを解き明かす。【画奇的な切り口による《怪異》の表現学!】
秋成や庭鐘、西鶴、綾足をはじめとして、漱石、鏡花、秋聲、そしてポオやボルヘス、ラヴクラフトなどを題材に、気鋭の近世・近代文学研究者たちが、《怪異》がいかに読まれ書かれてきたかを、これまでにない視点から解き明かす!
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――怪異は作者だけのものではない。「編む」という行為を通じて、多くの人々に開かれたものとなる。現代の我々が持つ印象とは別の怖さを、当時の読み手は感じていたかもしれない。また、優れた読み手によって、数百年にわたって埋もれていた作品の真の姿が露わになることもあるだろう。文学作品とも言いがたい断片と断片とが、読み手によって紡ぎ合わされることによって、怪異の容貌を浮かび上がらせれば、それはもう、読み手の創作と言えるかもしれない。
いっぽう怪異を「書く」とは、近世、近代においてどのような営みだったのか。怪談の名手の奥義は奈辺に見定められ、どのように説明できるか。また作者は、中国や日本の古典や伝説を踏まえて、いかなる独自の怪異を作り出したのだろうか。
こうした怪異をめぐる言葉のさまざまな可能性を求めて、近世文学、近代文学の研究者たちが論文の形で挑んだ。
(あとがきより)
《怪異を読む》
「〈鉄輪〉の女と鬼の間――現報に働く神慮をめぐる一考察」
(西村聡)
「怪異の対談」
(西田耕三)
「幽霊は実在するか表象か――「代筆は浮世の闇」試論」
(高橋明彦)
「「白蛇伝」変奏――断罪と救済のあいだ」
(丸井貴史)
「怪異と文学――ラヴクラフト、ポオそして蕪村、秋成」
(風間誠史)
「紀行文としての『折々草』と『漫遊記』」
(紅林健志)
「前期読本の有終――『四方義草』と『一閑人』」
(木越俊介)
「日常への回帰――『春雨物語』「二世の縁」小考」
(加藤十握)
「「第六夜」の怪異――夢を夢として読むために」
(杉山欣也)
「?怪異?の果て――泉鏡花「間引菜」を読む」
(穴倉玉日)
「神秘のあらわれるとき――小林秀雄「信ずることと知ること」をめぐって」
(権田和士)
「「任氏伝」を読みなおす――長安城内に生きた西域人の女性の描写から」
(閻小妹)
「Long Distant Call――深層の磯良、表層の正太郎」
(木越治)
《怪異を書く》
「『三井寺物語』「八月十五夜に狂女わが子に逢尋し事」考――謡曲「三井寺」との比較を通して」
(金永昊)
「医学と怪談――医学的言説に基づく怪異の源泉と奇疾の診断」
(李奕諄・クラレンス)
「都市文化としての写本怪談」
(勝又基)
「都賀庭鐘が『通俗医王耆婆伝』に込めたもの」
(木越秀子)
「怪談が語られる「場」――『雉鼎会談』を素材として」
(近衞典子)
「綾足・伎都長歌考――伝説歌の位置」
(奥野美友紀)
「『雨月物語』の「音」――名作の理由」
(井上泰至)
「化け物としての分福茶釜」
(網野可苗)
「「不思議」の展開――近世的世界観の一端」
(宍戸道子)
「文化五年本『春雨物語』「樊?」と阿闍世説話」
(三浦一朗)
「『小萬畠雙生種蒔』考――二ツ岩団三郎の怪談と読本」
(高松亮太)
「「お化」を出すか、出さないか――泉鏡花と徳田秋聲から見る日露戦後の文学」
(大木志門)
「亡霊と生きよ――戦時・戦後の米国日系移民日本語文学」
(日比嘉高)
あとがき(勝又基)
木越治教授略年譜・著作目録(丸井貴史編)
木越治[キゴシオサム]
編集
勝又基[カツマタモトイ]
編集
内容説明
画奇的な切り口による“怪異”の表現学!秋成や庭鐘、西鶴、綾足をはじめとして、漱石、鏡花、秋聲、そしてポオやボルヘス、ラヴクラフトなどを題材に、気鋭の近世・近代文学研究者たちが、“怪異”がいかに読まれ書かれてきたかを、これまでにない視点から解き明かす!
目次
怪異を読む(“鉄輪”の女と鬼の間―現報に働く神慮をめぐる一考察;怪異の対談;幽霊は実在するか表象か―「代筆は浮世の闇」試論;「白蛇伝」変奏―断罪と救済のあいだ;怪異と文学―ラヴクラフト、ポオそして蕪村、秋成 ほか)
怪異を書く(『三井寺物語』「八月十五夜に狂女わが子に尋逢し事」考―謡曲「三井寺」との比較を通して;医学と怪談―医学的言説に基づく怪異の源泉と奇疾の診断;都市文化としての写本怪談;都賀庭鐘が『通俗医王耆婆伝』に込めたもの;怪談が語られる「場」―『雉鼎会談』を素材として ほか)
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