出版社内容情報
度胸と美貌を兼ね備えた女侠客お染がお調子者黒船忠次をお供に、旅先で困難に遭いながらも、弱きを助け強きをくじく股旅痛快時代劇。
本書「女侠客 小町のお染」は、ヒロインお染が屈強な男達を手玉にとって大活躍する活劇である。主人公小町のお染は実在した人物ではなく講談師玉田玉秀斎による物語。明治42年(1904)の原本刊行当時は初版再版忽ち売切れという人気だった。侠客は江戸時代の封建社会の衰退とともに生まれた。本書に描かれる小町のお染は、侠客の研究の第一人者・白柳秀湖の分類によれば、侠客の最後の類型〈博徒/義賊〉にあてはまる。義賊としては鼠小僧次郎吉が有名だが、お染のモデルとなったのはおそらく「奴の小万」として知られた実在の人物で、お染の柔術・剣術の達人という人物像は小万のものでもある。
度胸と美貌を兼ね備えたお染は、腕っ節は強いが頭は回らないお調子者の黒船忠次をお供に、旅の先々で様々な困難に遭いながら、悪党がいかさま賭博など不正な手段によって得た金を奪い、貧しい者、困っている者に惜しみなく分け与える。お染には、「弱きを助け強きをくじく」という庶民が求める侠客の理想像が投影されている。気楽に楽しめる股旅痛快時代劇。
内容説明
おんな侠客お染が、腕っ節は強いが頭は回らない黒船忠治を従え、旅の先々で弱きを助け悪をくじく。女の活劇人生。
著者等紹介
玉田玉秀斎[タマダギョクシュウサイ]
1856‐1919。安政3年、京都の神職の家に生まれる。本名加藤万次郎。長じて大阪に出て錫職人となる。幼少より無類の講談好きで、二三歳のころ初代玉田玉秀斎に入門し、「玉田玉麟」を名乗る。師匠の死後、四国の今治に巡業中の明治29年に山田敬と知り合い、駆け落ちして大阪に帰る。山田都一郎速記の講談本が大好評を得て、二代目玉田玉秀斎を襲名。その後「速記講談」から「書き講談」に移り、明治44年創刊の「立川文庫」で真田幸村や猿飛佐助、霧隠才蔵が空前の人気を博す。大正八年死去。享年63歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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