出版社内容情報
大谷光瑞が六甲山中に築いた別邸二楽荘。各国様式を模した部屋、探検隊将来品の展示、園芸や気象観測、不審火による炎上……。当時の
はじめに
序章 阪神間という地域
第1章 二楽荘前史
第2章 二楽荘観覧案内
第3章 二楽荘とおける教育
第4章 二楽荘における事業
第5章 二楽荘と大谷探検隊
第6章 その後の二楽荘
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二楽荘研究史(片山章雄)
阪神間モダニズムにおける二楽荘(和田秀寿)
大谷光瑞と都市計画(掬月誓成)
内容説明
二楽荘は、明治42年(1909)西本願寺の第22世宗主大谷光瑞が神戸・六甲山の山麓に建設した別邸である。その威容は、阪神間でたちまち話題となり、建設中から新聞などで盛んに取り上げられた。大正元年(1912)には一般公開され、その後も名勝として多くの観覧者を集めた。しかし、昭和7年(1932)に不審火によって焼失した。二楽荘の建築は、建設に際して助言者を務めた建築家・伊東忠太によって「本邦無二の珍建築」と評されるような珍奇な意匠が凝らしてあった。また荘内では、武庫仏教中学、二楽荘園芸部、私設六甲山観測所、二楽荘出版部・印刷部などが設立され、教育、園芸、気象観測、出版など多くの事業が営まれた。また大谷探検隊による将来品の整理・研究・展示も行われた。当時の新聞記事や雑誌を渉猟し、関係者への聞き取りや跡地での発掘調査なども踏まえて、歴史の闇に埋もれた二楽荘の全貌を再現する。
目次
序章 阪神間における郊外住宅地の形成
第1章 二楽荘前史
第2章 二楽荘観覧案内
第3章 二楽荘における教育
第4章 二楽荘における事業
第5章 二楽荘と大谷探検隊
第6章 その後の二楽荘
著者等紹介
和田秀寿[ワダヒデトシ]
1961年生まれ。龍谷大学大学院文学研究科修了。芦屋市立美術博物館学芸員、西本願寺を経て、龍谷大学龍谷ミュージアム事務部学芸員。専門は近代地域史・日本考古学など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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