内容説明
大正モダニズムとともに生まれた超絶少女たちの運命は?少女の名のもとに描かれてきた両性具有的意識を、森茉莉、尾崎翠、稲垣足穂、松浦理英子らの11作品のうちに探る。
目次
少女型意識―自由と高慢
少女型意識の誕生―野溝七生子『山梔』1924
街で「自由」を得た少女―龍胆寺雄『放浪時代』1928
街で自己を多重化させる少女―川端康成『浅草紅団』1930
少女の作る小宇宙―尾崎翠『第七官界彷徨』1931
男性における「少女」の意味―室生犀星『或る少女の死まで』1919
少女という機能を逃れて―稲垣足穂『菟』1939
自己愛の構築―倉橋由美子『聖少女』1965
自己愛の限界―森茉莉『甘い蜜の部屋』1975
80年代的少女の意味―中森明夫『オシャレ泥棒』1988
意識の新戦略―松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』1987
身体の新戦略―大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』1990
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
りりす
21
『ゴシックハート』と『ゴシックスピリット』が「素敵」だったので、絶対に「素敵」だろうと思って読んだらやっぱり「素敵」だった。少女という、女であり子供であるという二重の意味での弱者、消費・搾取される対象として認知されがちな存在の個の自意識を論じる。若年の女という意味の少女より、『少女型意識』に重点を置く。『少女型意識』を持つことに年齢・性別は問わない(ただし男性主体的社会のアンチテーゼの意識なので、女性に目覚めやすい)。私の好きな穂村弘も嶽本野ばらも少女型意識を持っている(はず)。両者女性のファンが多い。2017/03/03
くさてる
20
大人の発想からはどうしても軽蔑されてしまう、素敵なものを見つけようとする意識を「少女型意識」と称し、その観点からいくつかの文学作品を評した内容。とかく少女という概念は曲者で、おかしな形で持ち上げられたり軽く見られたり、辱められたりあるいは崇められたりと、どうにでも便利に転がされてしまいがち。けれど、この本での「少女」の扱われ方には血肉がある。森茉莉「甘い蜜の部屋」は私のナンバーワンマスターピースなのだけど、納得いく解説でした。そしてあとがきで膝を打ちました。すぐれた批評本です。2020/07/25
ひろ@ネコとお茶愛
6
興味からこういう本を読んでも内容に対する具体的な感想はうまくまとめられないんですが(ダメじゃん)、私の中を新たな視線・切り口・考え方がゆっくり歩いて通り過ぎて行ったんだなと思います。少し足跡でもついててくれたら儲け。時間がかかった分、齧りついて面白く読みました。タイトルから想像したような”少女”はいなくて、逆にかっこよくて素敵だった。人間同士、個人と個人が愛し合うってどうゆうことなんでしょうね。ジェンダー論でもある。2015/05/14
海野藻屑
2
エゴイスティックな女は少女が嫌いだろう。なぜなら少女とは女が失った魅力があるから。2017/04/23
散文的思考者にも詩情を
2
▽「少女型意識」とは、「少女自身の自己主張と批判、自由と高慢への過剰な願望・憧れ、両性具有性、性的限定への異議申し立て、そこから少女という外形すら否定して続く探究・変遷・変奏」「自由と高慢を求めて限定を拒否する意識」のことを指すらしい。▽この特殊な意識を「少女」と名付けるのは強引だというのが私見である。どうして「少女」という言葉を用いるのか、「少女」に限定するのか、よくわからない。▽しかし、一種の少女像としては参考になった。高原氏独自の少女像として面白かった。2017/02/26