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内容説明
「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」―伝統とは創造であり、生きるための原動力であると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。著者撮影写真、多数収録。
目次
1 伝統とは創造である(人力車夫と評論家たち;法隆寺は焼けてけっこう ほか)
2 縄文土器―民族の生命力(いやったらしい美しさ;狩猟期の生活様式が生む美学 ほか)
3 光琳―非情の伝統(真空に咲きほこる芸術;新興町人の精神と貴族性の対決 ほか)
4 中世の庭―矛盾の技術(なぜ庭園を取りあげるか;銀沙灘の謎 ほか)
5 伝統論の新しい展開―無限の過去と局限された現在
著者等紹介
岡本太郎[オカモトタロウ]
1911年東京生まれ。’29年渡欧。パリ大学に在籍し、哲学・社会学・民族学を学ぶ。抽象芸術運動に参加し、’40年に帰国。戦後、前衛芸術運動を再開。’51年に縄文土器と遭遇し、その衝撃を’52年に「四次元との対話―縄文土器論」(本書収録「縄文土器」)として発表。’54年に『今日の芸術』を著し、多大な反響を呼ぶ。’57年頃より「日本再発見」の旅を始める。’70年大阪万博に「太陽の塔」を制作。「芸術は爆発だ!」発現など、表現者としても多彩な才能を発揮。’96年の没後も作品展開催や著作復刊が相次ぐなど、「いま生きる人」を魅了し続けてやまない
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Y2K☮
36
「ドン・キホーテ」を読んで「文学と小説をきっちり分ける必要など無い」と思い、又吉の「人間」から「面白い読み易いだけが小説の魅力ではない。全身全霊で己を開いてぶつかれば響くものがある」と学んだ。つまりそういう事かな。大事なのは今であり、今の積み重ねが未知のこれからを創る。名の知れた古典や評価の定まった巨匠の作品を持ち上げて新しい作家を見下すのが間違いなら、古いものを重いムズいと先入観で切り捨てるのも勿体ない。伝統に寄り掛からずアップデート&アウフヘーベンで新たな伝統に寄与したい。無論守るべきものは守りつつ。2020/02/12
寺
34
ふと安吾の『日本文化私観』を想った。それと同じくこの本の文章もほとんど戦後5〜10年以内に書かれたもの。時代の精神とも関わるのかも。内容が古くないのは、今なお伝統の権威に負けている我々がいるからじゃないだろうか。光琳をいいと思わないが、土器や庭園を見たくなった。2011/07/22
ホークス
33
1964年刊。「新しい価値を現在に創りあげるなま身の人間」なしには、「古典も伝統もへったくれもない」と言い放つ。残酷な絶望的な現実を正視し、あるがままに認め、そこからの出発を読者に迫る。全ての伝統は、一人一人が世界に向かって創造するための口実に過ぎない。この真摯な姿勢こそ岡本氏の遺産である。「中世の庭」では日本の風土を痛烈に批判する。「問題性放棄と視野の狭さ、イージーな自己満足」「本質的な対決のない不毛な世界の中で、消極的に身を守る順応性」。なんて痛快!芸術論を超えた人生の劇薬である。岡本敏子の解説も良い2017/06/15
さきん
29
日本の従来の伝統と謳ってきた、侘び寂び、形式化した美学を西欧化と対抗せざるを得なかったにしても、批判しており、縄文土器、尾形光琳の作品を挙げて、動的な特徴を再評価している。ちんまりと落ち着いている京都の石庭についても、完成時は借景を含めてどうだったかということを事細かに事例を上げて解説している。2019/07/16
ロビン
27
現代に生きる人間・岡本太郎の眼で日本の伝統芸術を見つめなおし新しく価値づけようとした一冊。太郎がその美の発見者となった縄文土器と、光琳、そして竜安寺や西芳寺、銀閣寺などの日本庭園を取り上げ、ぶつかっている。「芸術というものは同情したり、許されたりするものではない。あくまでも突っ放して対決するのです」とある通り、大阪万博の「進歩と調和の精神」に対して太陽の塔という万博と真逆の「縄文の精神」を対峙させ真っ向から切り結んだ太郎の、エネルギーに溢れかつ根源的な芸術論が知的に爆発している。太郎の熱さは永遠に新しい。2019/10/28