内容説明
武器は天与の美貌、爽やかな弁舌、鮮やかな模倣の才。貧しい青年クルルは子供の頃のずる休みと同様、仮病をつかって徴兵検査をくぐり抜け、憧れのパリで高級ホテルのエレベーターボーイとして雇われる。そして宿泊客の美しい女性作家に誘惑され、彼女の寝室に忍びこむと…。
著者等紹介
マン,トーマス[マン,トーマス][Mann,Thomas]
1875‐1955。リューベックの富裕な商家に生まれ、生家の繁栄と衰退を題材に『ブデンブローク家の人々』を執筆、世に出る。第二次大戦中はアメリカに亡命、戦後アメリカに起こった反共の気運を嫌ってスイスに移住。半世紀を超える執筆活動の中でドイツとヨーロッパの運命を深く考察し、過去の文学遺産を幾重にも織り込んだ独自の物語の世界を展開した。1929年、ノーベル文学賞受賞
岸美光[キシヨシハル]
1948年、埼玉県生まれ。元・東京都立大学教授。ドイツ文学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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藤月はな(灯れ松明の火)
28
天から与えられたような美貌、迫真に迫る演技力を見せる深層演技力の高さ、知識と饒舌で人を煙に巻く美声の持ち主である詐欺師、フェーリクス・クルル。その弁舌で兵役を逃れ、ホテルの使用人、(偽名)アルマンとなった彼は謎めいた人妻と逢瀬を重ねる。初めての女の神秘と変わりやすい思惑に困惑しながらも詐欺の手口を磨く彼の姿に引き込まれます。異国の言葉をカタカナで統一することで表現していることが新鮮でした。2013/03/05
syota
9
トーマス・マン3作目。少年時代を回顧する序盤こそ動きが少ないが、父が死んだ中盤からは舞台も大きく動き、「ヴィルヘルム・マイスター」を思わせる波瀾万丈の青春ドラマに突入する。主人公フェーリクスが当初から若さに似合わぬ冷徹な見通しを持ち、沈着かつ大胆に振る舞っている点がヴィルヘルムと違うところ。理屈っぽくてちょっと斜に構えた一人称の語りが特徴だが、山場では大きく盛り上がり、小説としての面白さは抜群。2015/05/26
ぱせり
8
フェーリクス・クルル、コソ泥で詐欺師で、口から先に生まれかと思うほどに冗舌で、自信満々のうぬぼれや。彼の旅に同行するのはなんて楽しい。最後には、旅の途中で置いてきぼりを喰わされるってわかっていてもね。2020/08/17
壱萬弐仟縁
8
巻末にあるように、ジプシーとか癇癪は時代背景を語る言葉で、現代はデリカシーが必要なようだ。悪漢小説は独語シェルメンロマーン(327ページ)。「私の幸福はいつも、大きく欠けるところのない広大なものに向かった。それは他の人が探し求めないような所に、繊細で薬味のきいた妙味を見出した」(89ページ)。広大にして繊細。素晴らしい。「人生を判断し評価する権利を、自分から進んで故郷に認める」(124ページ)。故郷は縛りがないようでいてどこかしこに制約という箍(たが)があるんじゃないか。評者の研究も結局、この箍に従属か。2013/01/28
iwri
7
僕が読んだ限りで、マンの他の作品にはないロマン的明るさのある作品だと感じた。古典新訳らしい砕けた文体もそう感じさせる一因かもしれない。主人公のクルルは初期ロマン派的な意味でのロマン的なもののカリカチュアだと思う。キルケゴールの誘惑者のように、彼においては美的な事柄が倫理的な事柄に優先されているという感じを受ける。一方で、マンの他作におけるような、ペシミスティックな自己沈潜ではなく、世界を嘲笑するようなイロニーに満ちており面白かった。2011/09/13