内容説明
「そうだ、死ぬんだ!…死ねば全部が消える」。すべてをなげ捨ててヴロンスキーとの愛だけに生きようとしたアンナだが、狂わんばかりの嫉妬と猜疑に悩んだすえ、悲惨な鉄道自殺をとげる。トルストイの代表作のひとつである、壮大な恋愛・人間ドラマがここに完結。
著者等紹介
トルストイ,レフ・ニコラエヴィチ[トルストイ,レフニコラエヴィチ][Толстой,Л.Н.]
1828‐1910。ロシアの小説家。19世紀を代表する作家の一人。無政府主義的な社会活動家の側面をもち、徹底した反権力的な思索と行動、反ヨーロッパ的な非暴力主義は、インドのガンジー、日本の白樺派などにも影響を及ぼしている。活動は文学・政治を超えた宗教の世界にも及び、1901年に受けたロシア正教会破門の措置は、今に至るまで取り消されていない
望月哲男[モチズキテツオ]
1951年生まれ。北海道大学教授。ロシア文化・文学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
139
アンナが壊れていく…。色々なものを捨てて走った男との子供なのに愛せないのはなぜだろう。離婚せずに愛人として暮らすとも子供への愛があれば、ここまで絶望することはなかったのだろう。一方、キティには乳母がいるとは言え、自ら乳をふくませおしめを替えるほど世話をすることで得られる幸せをこの時代でも語られるのだと少し驚いた。リョービンの信仰についての自問自答は興味深いが、それはカラマーゾフにおいて感銘を受けたほどではない。「戦争と平和」を読んでからこちらを読めばまた感想も少し変わってくるのだろうか。2016/01/24
藤月はな(灯れ松明の火)
103
アンナは『HANNIBAL』での「あの女」並に嫌な女のままでアンナパートはどっと疲れました・・・。幾ら、社会との繋がりが途切れつつあった焦燥があったとは言え、ヴロンスキーへの嫉妬や傷つけるような言動、果ては鉄道自殺の理由もメンヘラとしか思えず、顔が歪むしかない。ああ、やだやだ、こんな女!そんな中、学校に通うことで広い視野を持てるようになったセリョージャ君が清々しい。アニーちゃんもどうか、強く、生きられますように。そしてリョーヴィン君パートの最後の締めで「ああ、彼らは大丈夫だ」とやっと、息が付けました。2017/03/25
Willie the Wildcat
82
格差と矛盾の渦巻く社会の変化に身を委ね、問い続ける生きることの意味と意義。他力ではなく自力での変革。辿りつく共同体の解釈。地主貴族と農民、社交界と井戸端会議、そして根底の家族、夫婦、親子、友人。枠で生きるか、枠を広げて生きるのか。言うは易く行うは難し、ではなかろうか。一方、読後に考えてしまう本著の終わり方。アンナの最期で終われなかったのかなぁ、とは私の素人考えなのだろう。加えて、ヴロンスキーが切なすぎる。確かに”掟”を破ったのかもしれないが、報いは受けている気がする。法律・倫理観・宗教への問題提起か。2016/05/30
たかしくん。
61
ラストは一気読みでした!遂にアンナとリョーヴィンが遭遇し、2つの物語が1つになる瞬間かなぁと。キティの出産で、何かと斜に構えるリョーヴィンの態度が少しずつ和らいで、その一方、魔性の女アンナは、もはや行くところまで行って、残念な最期を迎えることに…。冒頭の彼らの出会いの駅での人身事故が、強烈なシンメトリーとなりましたね。エピローグで展開される、当時のロシアのトルコ出兵に対するリョーヴィンの批判的な主張は、現代の国際紛争の問題にも十分あてはまります。ドストエフスキーはここは今一つ評価しなかったようですが(笑)2017/09/06
市太郎
47
色々と考えさせられる小説でした。愛を求めるアンナは、自身が純粋であるがゆえに愛が形のないものだとは許せず、不毛な探求を続けてしまったようにも思う。愛はまぼろしと割切れたなら…リョーヴィンの子どもへの愛には共感できた。男は産まれた時でなく、子への愛に後で気付く。僕の場合は初めてお風呂に一緒に入った時で、手を離しただけで簡単に溺れてしまう存在なんだと考えたら我が子を愛さずにはいられませんでした。それを思い出した。どうぞ皆様もこの小説を読んで、それぞれの愛について、家庭について、人生について考えてみてください。2013/10/29