内容説明
ジャンボ機墜落の衝撃はあまりにも大きく、1985年の夏は、日本中が重苦しい空気に包まれていた。新聞もテレビも、連日、ジャンボ機墜落のニュースで埋め尽くされた。この年は、9月21日が土曜日、22日が日曜日、23日は秋分の日という三連休があった。ここで、やっとひと息つけるという空気が漂っていた。ところが、そこへ、ワシントンから至急の連絡が入ってきた。それは、「日米欧の蔵相と中央銀行総裁が、ニューヨークに集まっている」という驚くべき内容だった。当時の蔵相は竹下登氏、日銀総裁は澄田智氏だ。前日の金曜日は、二人とも、確かに日本にいた。三光汽船の倒産が日本経済に影響が出ないよう、あれこれ、指示をしていたのだ。これが、プラザ合意の幕開けだった―。
目次
2度目の無条件降伏
1985年の日本
日米経済摩擦
1985年8月12日 月曜日
プラザ合意 1985年
円高始まる
円高不況 1986年
孤立する日本 1987年
バブル始まる 1988~89年
『「NO」と言える日本』 1989年〔ほか〕
著者等紹介
岡本勉[オカモトツトム]
ジャーナリスト。神戸市に生まれる。1978年、東京大学経済学部を卒業し、読売新聞社に入社。千葉支局を経て、’83年に東京本社経済部の勤務となる。経済記者として、兜町を取材した後、日銀を担当し、’85年のプラザ合意に遭遇する。’87年からニューヨーク特派員となり、日米経済関係やウォール街を担当する。10月にはブラックマンデーを取材。’91年に帰国し、財務省、経済産業省、農水省、経団連などを担当する。大阪本社への出向を経て、2004年から東京本社メディア局でインターネットを担当し、インターネットサービスのYORIMOを手掛ける。’09年から’17年までテレビ新潟監査役。新聞、インターネット、テレビの三大メディアを担当し、BENsオフィスウルトラを主宰、代表を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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