出版社内容情報
清末中国と明治日本において、「民」という文字概念が、どれだけ過激にかつ大胆に使われながら、新しい文学表象を生成したかを明察。
戦争と革命の時代である、明治日本と清末中国において、「民」という一文字が、どのように躍動したか。夏目漱石、石光真清、梁啓超らの文学を丹念に追い、近代国民国家がアジアで形成されるときの、国家に対する人と言葉の抵抗の軌跡を描く、スケールの大きな作品。小森陽一氏推薦!
内容説明
「民」という文字概念が生み出すダイナミックな文学表象。
目次
序章 明治日本・清末中国の「民」と文学表象
第一部 帝国主義戦争と明治後期の「逸民」「遊民」・流民(「国民」の身体と「逸民」の心のアポリア―夏目漱石『吾輩は猫である』における猫・「逸民」・戦争;「帝国臣民」と「天下の逸民」の距離―夏目漱石『趣味の遺伝』と「諷語」;「逸民」と「気狂」を「立方的」に読む―夏目漱石『草枕』における「文明」・戦争・「憐れ」;徴兵忌避する「遊民」の「沈黙した声」―夏目漱石『それから』における青年の危機;東京から想像する満洲と流民―夏目漱石『門』・『彼岸過迄』を中心に)
第二部 救亡図存と清末の「新民」・「〓民」(馬賊と露清戦争―石光真清『曠野の花』における満洲の「花」;馬賊と日露戦争―「〓民」が見た『中国興亡夢』;方法としての「新民」―未来図を描いた梁啓超『新中国未来記』;女性「新民」が拓く「未来」―頤瑣『黄綉球』が示した範例;「女〓」と革命―静観子『六月霜』における「冤」をめぐる騙り)
終章 交錯する帝国主義時代の「民」
著者等紹介
斉金英[サイキンエイ]
1970年生まれ。専門は日中近現代文学。2019年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。現在東京大学、明治大学、武蔵大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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