出版社内容情報
踊り手の美しい身体を鑑賞するバレエから、表現主義、ミニマルを経て、再びピナ・バウシュ、舞踏等の試みによる身体性の回復まで。
舞踊は表現するものも、表現されるものも身体という特殊性、踊り手=見せる身体/観客=見る身体という関係性をはらむ芸術である。芸術性の追究では絵画など近代芸術と歩みを共にし、身体性ではカブキ/演劇との共通性・差異をもつ。
バレエからコンテンポラリーまでの軌跡を追い、先端の試みを身体性を軸に考察する。
関連書:尼ヶ崎彬 編訳『芸術としての身体─舞踊美学の前線』、
外山紀久子『帰宅しない放蕩娘─舞踊のモダニズムとポストモダニズム』
(共に小社刊)
第1部 舞踊の現在
1 身体像の変容──20世紀ダンス史の一視点
2 モダニズムの外部──アルヴィン・エイリー
3 物語としての芸術──ダンスワールド1995
4 欲望と内輪──ダンスワールド1996
5 生成モデルと編集モデル──振付けない振付家たち
6 舞踊の制度──日本の場合
7 劇的なるものの根源──演劇史の中のピナ・バウシュ
第2部 舞踊の身体
1 受動性のポリティクス──ピナ・バウシュの身体
2 芸術と身体──身体の脱秩序化と再秩序化
3 視線の中の身体──演ずることとさらすこと
4 舞踊が「芸術」と呼ばれるとき──相貌と強度
5 身体の時間──フレーズと引き込み
あとがき
初出一覧
内容説明
ダンス。この身体をメディアとする芸術は、なぜに今魅力的なのか?バレエからコンテンポラリーまで軌跡を追い、ピナ・バウシュなど先端の試みを尋ね、身体のありようを探る。
目次
第1部 舞踊の現在(身体像の変容―二〇世紀ダンス史の一視点;モダニズムの外部―アルヴィン・エイリー;物語としての芸術―ダンスワールド一九九五;欲望と内輪―ダンスワールド一九九六 ほか)
第2部 舞踊の身体(受動性のポリティクス―ピナ・バウシュの身体;芸術と身体―身体の脱秩序化と再秩序化;視線の中の身体―演ずることとさらすこと;舞踊が「芸術」と呼ばれるとき―相貌と強度 ほか)
著者等紹介
尼ヶ崎彬[アマガサキアキラ]
1947年愛媛県に生れる。1971年東京大学文学部卒業。現在、学習院女子大学教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yu-onore
すいか