内容説明
「子どものため」という善意?校庭にひそむ「教育」「子ども」「望ましい空間」をめぐってせめぎ合う大人の欲望を歴史的に明らかにする。
目次
序章 校庭の風景を問い直す
第1章 校庭の設置と身体の教育論―一九〇〇年代前後の社会
第2章 「子どものため」という論理の齟齬―戦後から一九七〇年代
第3章 近代化の反省と“校庭”の「改善」―一九七〇年代
第4章 自在運動する「効果語り」―一九九〇年代以降の展開
第5章 都市空間の「創出」と「子ども」の希薄化―二〇〇〇年代以降
終章 子どものいない校庭
著者等紹介
高久聡司[タカクサトシ]
1979年栃木県生まれ。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士後期課程単位取得退学。博士(学術)。現在、目白大学社会学部地域社会学科専任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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peisaku2014
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非常に興味深く読んだ。 要点―①我々が自明視する堅い校庭は,子どもの身体の衛生と大人の生活環境の衛生という2つの価値の交錯点で形成された,②次第に子どもの身体のためには土のほうがいいと「子どものため」という論理の矛盾が顕在化し,その調停として校庭芝生化が起案された,③90年代には都市環境の改善そして創造の視点から芝生化の効果が主張された。 面白かったのは,「子どものため」という論理は社会的欲望と符合する限りで主題化され,曖昧・多様な子どもの声を統一させようとする大人の欲望として表出されるという視点である。2014/01/26
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