災害と厄災の記憶を伝える―教育学は何ができるのか

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災害と厄災の記憶を伝える―教育学は何ができるのか

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  • サイズ A5判/ページ数 331,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784326251209
  • NDC分類 371
  • Cコード C3037

出版社内容情報

厄災という不条理な経験を受け止め、伝承するために、教育学は何ができるのだろうか。その問いに向き合う手掛かりを探究していく。災害および厄災の記憶と伝承をめぐる問題について、教育関係者や災害の専門家が、教育哲学・防災学等の視点から検討する。先行世代から後続世代に災害という負の出来事・体験を伝えることは、教育においていかなる可能性となるのか。その課題について思想的に踏み込んだアプローチを行い、新たな理論の構築とそれに基づく実践を目指す。

はじめに[山名淳]



序章 災害と厄災の記憶に教育がふれるとき[山名淳]

 一 問題関心とキーワード

 二 「厄災の教育学」の暫定的な地図

 三 本書の構成と各章の概要



第?部 場所が語りだす記憶に耳を傾ける



第一章 〈非在のエチカ〉の生起する場所─水俣病の記憶誌のために[小野文生]

 序─受難の記憶誌

 一 孤独な魂のさまよい

 二 絶対孤独が生み出す関係性

 三 救うものと救われるものの相互照応

 四 加害者への憐憫の情

 五 対立構図からの転換と赦しの可能性

 六 「悶え加勢」から問い直される共同性

 七 水俣病における認定問題と潜在性─承認のポリティクス

 八  「存在の現れ」の政治─グレイゾーンに向き合うこと

 九 〈非在のエチカ〉のために─存在でも無でもなく

 むすび─「もうひとつのこの世」の余白に



第二章 東日本大震災における教師の責任─ある保育所をめぐる裁判を事例として[田端健人]

 一 記憶として何を伝えるべきか

 二 選択の方法論─事例研究の学術的根拠づけ

 三 東日本大震災による学校の被害状況

 四 ある保育所の訴訟事例

 五 争点

 六 リーダーの〈予見〉



第三章 災害ミュージアムという記憶文化装置─震災の想起を促すメディア[阪本真由美]

 一 地震と災害

 二 震災の記憶とはなにか

 三 災害の記憶のミュージアム「人と防災未来センター」

 四 人と防災未来センターにおける災害の記憶の展示

 五 災害ミュージアムの位置付けの変化

 六 むすびにかえて─防災・減災への視座



第四章 広島のアンダース─哲学者の思考に内在する文化的記憶論と〈不安の子ども〉[山名淳]

 問題の所在─〈ヒロシマ〉論と〈広島〉論の亀裂をめぐる問い

 一 世界状況としての「ヒロシマ」と新たな「倫理的連帯」

 二 広島の都市空間に対する違和感

 三 把握しがたい「モノ」としての原子爆弾

 四 「誤っていた回答」の寓話─アンダースによる広島論の基底

 五 〈不安の子ども〉─描かれざるアンダースの文化的記憶論



第?部 厄災を受けとめる思想の作法を探る



第五章 災害の社会的な記憶とは何か─出来事の〈物語〉を〈語り‐聴く〉ことの人間学的意味について[岡部美香]

 問題の所在

 一 出来事を想起する─いまここで過去の出来事を生きる

 二 出来事の記憶を語ることは可能か

 三 美的な営みとしての〈語り‐聴く〉こと

 四 むすびにかえて



第六章 厄災に臨む方法としての「注意」─「不幸」の思想家との対話[池田華子]

 一 教育の立場から厄災について考える、ヴェイユとともに

 二 「不幸」を語るヴェイユの言葉

 三 方法としての「注意」、あるいは「不幸」の引き受け

 四 受動=受苦の地平から

 五 アナロジーを通じた「不幸」への応答

 六 「不幸」をケアする─短いあとがき



第七章 学校で災害を語り継ぐこと─〈戸惑い〉と向き合う教育の可能性[諏訪清二]

 一 語る意味

 二 防災教育

 三 語り継ぐ活動

 四 若年層が語り継ぐ意味



第?部 次世代に伝える課題の重さを考える



第八章 それからの教育学─死者との関わりから見た教育思想への反省[矢野智司]

 一 戦争と震災、それからの思想

 二 戦争と臨床的教育思想の誕生

 三 戦争と国民教育学の誕生

 四 敗戦の体験と戦後教育学の誕生

 五 「それから」の「それ」に触れる教育思想



第九章 問いの螺旋へ─東日本大震災と教育哲学者の語りの作法[井谷信彦]

 一 本章の課題

 二 故郷喪失と人間疎外

 三 危機と希望に関する議論の「ねじれ」

 四 議論の「ねじれ」と問いの螺旋

 五 本章の帰結



第一〇章 カタストロフィーと教育学─いまだ明らかにされていない両者の関係性をめぐって[ローター・ヴィガー/山名淳訳]

 問題の所在

 一 カタストロフィーの定義

 二 日常用語としての「カタストロフィー」

 三 さまざまなカタストロフィーの種類

 四 カタストロフィー教育か、それともカタストロフィーの教育学か



終章 厄災ミュージアムの建築プラン─記憶し物語り伝達し公共的に活動する場を目指して[矢野智司]

 一 災害ではなく厄災という主題

 二 公共の場としての厄災ミュージアム

 三 モノと物語の厄災ミュージアム

 四 破局に抗する世界市民を形成する場としての厄災ミュージアム



おわりに[山名淳・矢野智司]

索引

山名 淳[ヤマナ ジュン]
山名 淳(やまな じゅん)
現在、京都大学大学院教育学研究科准教授。主著:『教育と政治――戦後教育史を読み直す』(共著、勁草書房、2003年)、『ドイツ 過去の克服と人間形成』(共著、昭和堂、2011年)、『都市とアーキテクチャの教育思想』(勁草書房、2015年)

矢野 智司[ヤノ サトジ]
矢野 智司(やの さとじ)
現在、京都大学大学院教育学研究科教授。主著:『贈与と交換の教育学――漱石、賢治と純粋贈与のレッスン』(東京大学出版会、2008年)、『幼児理解の現象学――メディアが開く子どもの生命世界』(萌文書林、2014年)、『大人が子どもにおくりとどける40の物語――自己形成のためのレッスン』(ミネルヴァ書房、2014年)

内容説明

災害と厄災の記憶を伝承するという課題に対して、教育/教育学は何をなしうるか。「厄災」をどのように語るのか、語ること自体の意味や記憶の在り方そのものについて思想的にアプローチすることにより、「厄災の教育学」の可能性を探る。

目次

第1部 場所が語りだす記憶に耳を傾ける(“非在のエチカ”の生起する場所―水俣病の記憶誌のために;東日本大震災における教師の責任―ある保育所をめぐる裁判を事例として;災害ミュージアムという記憶文化装置―震災の想起を促すメディア;広島のアンダース―哲学者の思考に内在する文化的記憶論と“不安の子ども”)
第2部 厄災を受けとめる思想の作法を探る(災害の社会的な記憶とは何か―出来事の“物語”を“語り‐聴く”ことの人間学的意味について;厄災に臨む方法としての「注意」―「不幸」の思想家との対話;学校で災害を語り継ぐこと―“戸惑い”と向き合う教育の可能性)
第3部 次世代に伝える課題の重さを考える(それからの教育学―死者との関わりから見た教育思想への反省;問いの螺旋へ―東日本大震災と教育哲学者の語りの作法;カタストロフィーと教育学―いまだ明らかにされていない両者の関係性をめぐって;災厄ミュージアムの建築プラン―記憶し物語り伝達し公共的に活動する場を目指して)

著者等紹介

山名淳[ヤマナジュン]
現在、京都大学大学院教育学研究科准教授

矢野智司[ヤノサトジ]
現在、京都大学大学院教育学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。