内容説明
『哲学探究』以後、最晩期に独立した地位を与える。ウィトゲンシュタインの知識の哲学。
目次
序章 ウィトゲンシュタインは最後にどのような課題に取り組んでいたのか
第1章 知識の章―ウィトゲンシュタインの知識の哲学(ウィトゲンシュタインのムーア批判;ウィトゲンシュタインの知識観:中期の検証概念と後期の規準の複数性 ほか)
第2章 懐疑の章―ウィトゲンシュタインと懐疑論(ウィトゲンシュタインの対峙してきた懐疑論:前期・中期・最晩期における観念論批判;探究の論理学:蝶番の比喩が意味するもの ほか)
第3章 確実性の章―最晩期において語りえず示されるもの(最晩期ウィトゲンシュタインの連続性テーゼが意味するもの:自然と規範の連続性と非連続性;世界像の哲学 ほか)
第4章 他我の章―他人の心に対する知識・懐疑・不確実性(いかにして他人の心を知ることができるのか;対称性から非対称性へ:再び心が分離する)
著者等紹介
山田圭一[ヤマダケイイチ]
1973年生まれ。2008年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(哲学)。現在、中央学院大学ほか非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Ex libris 毒餃子
1
ヴィトゲンシュタインを介して懐疑論を論じた本。確実性の問題は難しい。2014/03/22
爐
0
知識とその懐疑という重要性の高い主題を丁寧かつ説得的に論じている。諸々のゲームの営みを方向づける固定点である「蝶番」、ゲーム間に横たわり連続性テーゼを成り立たせる「河床」、全体論的基礎としての「世界像」、さらに他我問題などを、疑いの不在(確信)がゲームの基礎的な確実性を構成する始点となっていることなどを軸に巧みに整理し、疑いの発生する時点の錯誤から発する懐疑論への反駁も示している。ただし名前を巡る議論は「全てを道連れに混沌へと突き落とす」ほどの懐疑の問題に応じた記述とは言えず問題が適切に把握されていない。2012/04/18