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出版社内容情報
洗濯機や自家用車は,道具として用いられること以上に,社会的権威や幸福を示すものとしての役割を果たしている。このように,現代の商品は「記号」として消費されるのであり,そうした視点はすべての社会現象に適用できると著者は言う。「消費社会」という画期的な概念を提示して現代社会論の新時代を拓いた名著であり,今日の社会を語るには必読とされる一冊。
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現代社会論のバイブル
現代消費社会を 精彩溢れる切り口で 見事に解説する
評価の高い同書上製本のペーパーバック版!!
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<同書上製本に寄せられた書評から>
分析は鋭く、素材も記述も多彩豪華である (毎日新聞)
消費文明のもつ人間疎外的な性格をえぐり出している (朝日新聞)
我々消費人間にとって、必読の書である (読売新聞)
ガルブレイス的平板さにあきたりない人にすすめたい (BOX)
シニカルな逆説やエスプリのきいた警句に富む (週刊ポスト)
モノと消費のありようをとらえてきわめて的確 (宣伝会議)
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訳者解説
「本書の性格について」 から
現代大衆社会の社会学的分析を主要な目的とする本書の最大の特徴は、マルクス、フロイト、ソシュールの
理論的装置をたくみに再利用しながら、われわれの日常的現実を記号論的視点から解釈しなおしたことにある。
すでに邦訳旧版への「あとがき」でわれわれが指摘したとおり、 「ボードリャールは、モノが単なる物理的対象ではなくて
モノ=記号として現われるとい事実に着目するわけだが、モノ=記号という定式の背後には、
マルクスの価値形態論(商品論)がひかえていることはすぐに見てとれる。
そしてマルクスの価値形態論とソシュールの記号論とを結合して社会現象の分析用具に仕上げたところに、
ボードリャールの創意があったであろう。
だが、もっと重要なことは、マルクスが生産圏内のモノに限定したモノ=記号論を、社会の全現象に拡張することであり、
ここにボードリャールの理論的冒険がある。
生産圏だけにしか眼を向けない経済学者流のモノ観を否定し、社会内の森羅万象はモノ=記号化することに、
そしてそのことがボードリャールのいう<消費>概念を構成すること、ここに彼の主張の要点がある」 という
本書の基本的位置づけそのものは、いまなお変わってはいないだろう。
そのことを確認したうえで、あらためて注意をうながしておきたいひとつの事実がある。・・・
あらゆる財とサーヴィスが消費「対象=モノ」(オブジェ)として人びとの目の前に立ちあらわれるためには、
それらがあらゆる社会階級にとって「無差別的に接近可能な記号」となったという認識が共有されていなければならない。
かっては階級的秩序の象徴であった拘束された記号がこうして解放されることが「消費社会」の成立要件となる。
ところが、この社会がけっして真に解放された社会でないことは、無差別に接近可能となったはずのモノたちが
今度は差異表示記号として機能しはじめるという事実によってあきらかになる。
その結果、「消費」が社会全体を均質化するようにみえて、じつは社会の内側に微妙な差異のシステムを構築し、
誰もが差異のコードに自分自身を記号化して書きこまないわけにはいかなくなるという状況がもたらされるのである。
逆にいえば、現代社会をこのような方向から批判的に見ようとしないかぎり、「消費社会」という発想は生まれてこなかっただろう。・・・
「かれ(ボードリャール)の理論的構図は、現代社会分析のための単なる気のきいた枠組というものではなくて、
マルクス、フロイト、ソシュールの諸理論との内在的な批判的格闘を通して得られた理論的構成であって、
それは現代社会の乗りこえのための思想的営みという性格すらもっている」。
その後の消費社会の世界規模での巨大な増殖によって、ボードリャールが本書の末尾予告したとおり、
あらゆる種類の反社会的言説が、消費社会にたいする批判的言説さえもが、
消費対象として記号化され「回収」されてしまったかに思えるいまこそ、
そして欧米消費社会をはるかにしのぐ消費社会を実現し、
批判精神を中性化してしまった日本においてこそ、本書のこの性格を再び強調しておきたい。
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第1部 モノの形式的儀礼
Ⅰ 消費の奇跡的現状
Ⅱ 経済成長の悪循環
第2部 消費の理論
Ⅰ 消費の社会的論理
Ⅱ 消費の理論のために
Ⅲ 個性化、あるいは最小限界差異
第3部 マス・メディア、セックス、余暇
Ⅰ マス・メディア文化
Ⅱ 消費のもっとも美しい対象 -- 肉体
Ⅲ 余暇の悲劇、または時間浪費の不可能性
Ⅳ 気づかいの秘蹟
Ⅴ 豊かな社会のアノミー
結論 現代の疎外、または悪魔との契約の終り
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★北田暁大さん(東京大学助教授)「私のおすすめ」(「i feel」出版部50周年記念号より)★
「 いまや「現代思想」の最前線からは退却してしまったかに見えるボードリヤールだが、八〇年代消費社会の言説空間のなかではダントツといっていい存在感を発揮していた。もちろん当時から思想家、研究者からは厳しい批判が投げかけられていたが、文化人類学、経済学、社会学……といった知のフィールドを記号論的な理論装置によって媒介し、それまでの産業社会論、大衆社会論に飽き足らない多くの人びとの関心をひきつけていたのは事実だ。
「ミーイズム」だの「私生活中心主義」だのといった道徳色の濃いマジックタームによって浅はかに理解されていた消費社会の論理のしたたかさと避け難さを、独特の文体を駆使して描き出す『消費社会の神話と構造』が受け入れられたのは、たんに時代と共振したからだけではない。自らに対する道徳的批判をも糧として自己再生産するという、消費社会の厄介で魅惑的な神話と構造へのメタ批判
――その有効性はいまだ効力を失っていない。」
内容説明
本書は、フランス現代思想を代表するボードリヤールの代表作で、現代消費社会を鋭く分析した本として高い評価のある本である。家庭電化製品や衣料、車といった各種の商品は、その使用価値だけで用いられるのではなく、社会的権威や幸福感といった他人との差異を示す「記号」として現われる。ここに消費社会の秘密を解く鍵があるという。さらにこうしたモノ=記号を生産されたモノに限定することなく、社会の森羅万象―ファッションから広告、教養や健康への強迫観念、暴力まで―にあてはめて考察することで、現代社会の様々な神話と構造をえぐり出すことに成功している。評判の高かった同書名訳書の〈普及版〉。
目次
第1部 モノの形式的儀礼
第2部 消費の理論
第3部 マス・メディア、セックス、余暇
結論 現代の疎外、または悪魔との契約の終り
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感想・レビュー
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zirou1984
白義
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