内容説明
フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」、ルナン「国民とは何か」、二大国民論を清新な翻訳で収録。バリバール、鵜飼哲らの読解を併せて、国民・民族・国家という終わりなき課題に応え、異質なものとの間に頻発するあらゆるリアルな「境界の経験」に再考を迫る、今日もっとも切迫するテクスト。本書に収録されているのは、全体で十四回の講演からなる「ドイツ国民に告ぐ」の第四回、第七回、第八回、第十三回、第十四回の講演である。
目次
二つの国民概念
国民とは何か
ドイツ国民に告ぐ
フィヒテと内的境界
「市民キャリバン」あるいはエルネスト・ルナンにおける精神の政治学
解説 国民人間主義のリミット
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
瀬希瑞 世季子
3
フィヒテにとって「ドイツ人」は血統、生地、母語で定義されるものではなく「哲学」=「生ける精神」の「自由」であり自然的所与ではない普遍的な哲学的人間観に支えられている。ナショナリズムとコスモポリタニズムの円環的な「紐帯=契約」(Bund)が繰り返し結び直され、「精神的祖国」に参加する意志がある者が「ドイツ人」となる。この「国民人間主義」とでも言うべき「人間」の普遍的定義の上に特定の「国民」の本質規定を基礎付ける思想はルナンにも見られる。2023/09/05
rinv0925
0
ルナンは「国民は魂であり、精神的原理である」と説いた。そこには地理や宗教、人種的差異の介入は存在しない。精神的原理の構成は、豊かな記憶の遺産の共有であり、ともに生活しようという願望、そして共有物として受け取った遺産を運用し続けるという意思であり、努力犠牲献身から成り立つ「過去の長い歴史の結果」であった。2016/05/22
中将(予備役)
0
フィヒテ・ルナン二人の国民論ならびにロマンらの解釈の抄訳集。フィヒテの民族と教育を根底に置いた論議に心ひかれる一方、現代においてはルナンの方が受け入れられやすい様にも思われた。国により定義は違う国民の意義をより深めたいと思う。2012/11/30