河出新書<br> 「死」を考える

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河出新書
「死」を考える

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  • サイズ 新書判/ページ数 208p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784309631974
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0215

出版社内容情報

【恐山の禅僧が、現代に「死」を問い直す】
・
自分とは何か。
そして、どう生きるか――。
・
仏教の枠を超え
真正面から
「死」を問い続けることで
その輪郭が浮かび上がる。
・
本書は、死とは何かという根本的な問いに
正面から向き合おうとする試みである。
小児喘息で死と隣り合わせだった幼少期の原体験や、
僧侶として多くの人の死に寄り添ってきた経験を踏まえ、
死とは何か、自分とは何か、そしてどう生きるかを問う一冊。
死と向き合い続けることで、
苦しくてもどうにか生きていくための手がかりが見えてくる。
・
・
【目次】
・
第1章 「死」を問う
第2章 人は死をどう捉えているのか
第3章 どうすれば、死を受け容れられるのか
第4章 生きるとは、死につつあることである
第5章 他者の死と向き合う
第6章 遺された者と死者との関係を考える
第7章 仏教は死をどう捉えてきたか
第8章 死をめざして生きる
・
・
【著者プロフィール】
南 直哉(みなみ・じきさい)
禅僧。青森県恐山菩提寺院代、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年出家得度。曹洞宗大本山・永平寺での修行生活を経て、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で第17回小林秀雄賞を受賞。著書に『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)、『正法眼蔵 全 新講』(春秋社)など多数。


【目次】

内容説明

自分とは何か。そして、どう生きるか―。「死」を真正面から問い続けることで、その輪郭が浮かび上がる。恐山の禅僧が、仏教の枠を超えて現代に「死」を問い直す!

目次

第1章 「死」を問う
第2章 人は死をどう捉えているのか
第3章 どうすれば、死を受け容れられるのか
第4章 生きるとは、死につつあることである
第5章 他者の死と向き合う
第6章 遺された者と死者との関係を考える
第7章 仏教は死をどう捉えてきたか
第8章 死をめざして生きる

著者等紹介

南直哉[ミナミジキサイ]
禅僧。青森県恐山菩提寺院代、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年出家得度。曹洞宗大本山・永平寺での修行生活を経て、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で第17回小林秀雄賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

tamami

62
著者の本は以前から何冊も読み、都度お布施(本代)をおさめ、修行を積んでいるものの、いまだ悟りの境地には至らない。本書は、後期高齢者となり蓋然性が高まりつつある「死」を、自分事として捉える一つのきっかけになった。著者は、死はわからないという。それゆえに、死をどう捉え、いかに受け入れていくかが大切になる。死を宣告された主人公がやみくもに頑張って「体当たり玉砕」する法、健康に気を付け規則正しい生活のもと、90歳を超えて大往生を遂げる法、自分をなくし、他人を立てて共に問題の解決を図っていく法。さあ、どれを選ぼう。2026/02/08

akihiko810/アカウント移行中

25
禅僧・南が、絶対にわからない「死」について考える。印象度B  南が20年に刊行した「死ぬ練習」(既読)を加筆・修正した本とのこと。 私の敬愛する禅僧である著者。「仏教は死ぬ練習である」(ソクラテスからの転用)と、「死の受容」を目標に修行する。「死のわからなさ」を需要するために、自己を解体していく、というのが禅宗らしいと思った。 ところで、私はがんで父を亡くしてから一年になる(「死ぬ練習」を読んだときは、父は健在だった)が、特に寂しいとか思わない、というか「人が亡くなるのはこんなにも大変なのか」 2026/04/09

原玉幸子

18
「死者」に関する事例を引用する件が、新書エッセイにも拘らず「小説」であって深く感じ入りました。「死は観念」であること然り「死者」も又観念であることに、深い嘆息と共に大いに納得します。南の説く「死の回避」、「死への慣れ」、「死の受容」が分かり易くも深く(第3章)、思索を深めていくと、暗いなぁと言った前掲書も理念が浮かび上がって来る気がし、南の仏教とは『死の練習』との「切り取り方」に触れれば、何者にもなれなかった自分を改めて落ち着いて眺めることが出来そうです。(◎2026年・春)2026/04/04

カツ

17
人間にとって決して避けられなく、決して分からない「死」について仏教側から考察する。これがなかなか難しい。誰も経験したことがないのだから当たり前と言えば当たり前だ。ある意味、人生とは死を目指し生きている事だ。となる。最後の流れは田坂広司「死は存在しない」を想い出した。なかなか哲学的な本でした。2026/04/11

くくの

14
新しい発見もあり、それはどうなの?という部分もあり、小難しい部分もある。死と向き合う生き方は「自分を大切にしない」生き方という。それは自暴自棄ではなく、滅私奉公の生き方らしいが、よく分からない。『夜と霧』の人生から何を求められているかという問いに通じるものかもしれない。ただ死の受容には他者が必要と言われたが、そうじゃない方法を知りたい思った。「人は退屈を避ける。畢竟それは生きるのは最初から退屈なこと」と言葉にされると確かにと思った。退屈なのは嫌だなと思っていたが、それこそが生きているということなのだろう。2026/08/04

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