内容説明
今、最も注目の古典『歎異抄』。底知れない不安や絶望、人間の持つその苦しみを煩悩の身のままで乗り越えていく手掛かりが、そこにある。なぜ「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるのかなど、常識の枠のなかでは到底理解し得ない、逆説に満ちた親鸞の教えの本質を、無宗教の視点からひもといていく。
目次
第1章 あなたも「無宗教」ですか?
第2章 「阿弥陀仏の物語」とは?
第3章 法然が生み出した「本願念仏」
第4章 『歎異抄』とはどんな書物なのか?
第5章 煩悩の身のままで救われる
第6章 私たちも「悪人」なのか?
第7章 「私」の正体
第8章 『歎異抄』が教える「本願念仏」とは?
第9章 「親鸞は弟子一人ももたず」
第10章 なにが「大きな物語」の理解を妨げるのか?
第11章 念仏のみが真実である
第12章 『歎異抄』の付録「流罪の記録」
終章 「人界」に生まれる
著者等紹介
阿満利麿[アマトシマロ]
1939年生まれ。京都大学教育学部卒業後、NHK入局。社会教養部チーフ・ディレクターを経て、明治学院大学教授。現在、同大学名誉教授。専攻は日本宗教思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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なお
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先祖の供養をするだけの無宗教の私が『歎異抄』を教えて頂いた。法然が生み出し親鸞が発展させた「本願念仏」は、念仏を称えるだけで誰もが救済されるという。中世の人々は飢饉や疫病の中でなりふり構わず生きねばならず、罪の意識を持つ者が多かった。そういう人程、阿弥陀仏は救って下さるという。「本願念仏」は道徳を超越した教えで、道徳的な誤りにその都度心を改めよと言うのではなく、たとえ間違いをしても阿弥陀仏の誓願を信じて念仏を称えよという。無条件の阿弥陀仏の慈悲が、心からの救いを求める人の心を明るく照らしたのだろうと思う。2024/04/22
RS
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約800年前に作られた世界観が今の時代にどう当てはまるのか。今を生きるための心を落ち着かせるヒントをもらうことにあり人によってはそれが念仏なのかなと。2023/06/03