出版社内容情報
ジョルジュ・バタイユ[バタイユ,G]
著・文・その他
江澤 健一郎[エザワ ケンイチロウ]
翻訳
内容説明
暗い時代にこそ燦然と輝く思想家バタイユの最高作にして思想史上屈指の名著を、半世紀を経て新訳。非‐知と未知なるもののための「内的体験」が、思想史の臨界をつきぬけ、それを転覆する。戦慄と恍惚とともに人間の「外」を覚醒させる絶後の挑戦が、鮮烈な訳文と精緻にして膨大な注とともに甦る。
目次
1 内的体験(内的体験へ導く序論の粗描;刑苦;刑苦の前歴(あるいは喜劇)
刑苦への追伸(あるいは新たなる神秘神学)
両手一杯の百合を与えたまえ)
2 瞑想の方法(異議提起;決定的態勢;裸性)
3 追伸 一九五三年
著者等紹介
バタイユ,ジョルジュ[バタイユ,ジョルジュ] [Bataille,Georges]
1897‐1962。思想家・作家・批評家。二十世紀における最も重要な思想家
江澤健一郎[エザワケンイチロウ]
1967年生。フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
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梅崎 幸吉
6
バタイユはニーチェの影的存在である。 彼の哄笑は虚無的世界観にあってそれを哄笑する事でバランスを保持しようとしたにすぎない。 ニーチェと同じく彼も「虚無的世界観」の閉じた球体の中でジタバタと苦悩したのである。 「内的体験」とは虚無体験である。 物質界の足場を全て消失したら誰でも体験する。 しかし、その虚無空間を打破し、さらに先に進むのは頗る困難である。 これは自らが実体験せねば実感として理解し難い事である。 内的体験と言ってもピンキリ、諸段階があるからであり、その自らの体験内容しか語る事しか出来ない。
kentaro mori
4
⚫︎劇的なことは、あれこれの条件、肯定的条件において存在することではない。それは、単刀直入に存在することなのだ。⚫︎内的体験は恍惚であり、恍惚は交流であり、先ほど言及した自己への自閉と対立すると思われる。⚫︎沈黙という言葉もいまだにひとつの雑音である。語ることは、自分自身のなかで知っていると思うことであり、もはや知らずにいるためには、もはや語ってはならないだろう。砂が私の両目を開くに任せたとしても、私は語ってしまった。言葉はまさに逃げる役にしか立たないのであり、私が逃げるのを止めたときにも私を逃避へと連れ2025/03/23
カケル
3
先に出口裕弘氏の改訳新版を読了済。今回江澤氏の新訳を膨大な訳注まで含めてガッツリ堪能させて頂いた。大瀧啓裕訳のディック『ヴァリス』を彷彿させる酩酊感だった。人間、ナニカに取り憑かれるとろくでもない醜態を晒しがちだが、彼等が凡百の傍迷惑な輩と違うのは、エクリチュールという経験を通して自壊にまで至る地平に達したおかげだろうか? さて、次は無神学大全第2巻『有罪者』、いってみようか!2023/09/30
かんちゃん
3
言説(推論的思考)からなる知の世界から抜け出して、没我に至るような内的体験をテーマとして、思考があれやこれや展開している。内容は解題でシンプルにまとめられているが、寄り道的な記載が面白かった。定義上言語化できないことを前提としているにも関わらず、意外にも、一つ一つの言葉を定義しようとしながら思考が進められており、「至高」など理解できないタームも多かったものの、おおむね筋を追うことができた…気がする。意思から逃れ、自分の創作物を破壊し、それでも狂気には陥らない無対象な恍惚。どこまでいっても経験的ではある。2022/09/23
十文字
2
自由になることの困難。というか、バタイユ読んだのいつぶりだろう。四半世紀ぶりくらいか。2024/05/12
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