出版社内容情報
『無人島』『狂人の二つの体制』からのテーマ別オリジナル・アンソロジー。フーコー、シャトレ論、政治的テクスト、芸術論などを集成
【著者紹介】
1925年パリ生まれの哲学者。1995年、自ら死を選ぶ。スピノザやニーチェの研究を通じ西欧哲学の伝統を継承しつつその批判者となる。主著ーF・ガタリと共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『哲学とは何か』他。
内容説明
ドゥルーズのテーマ別アンソロジー。2は「欲望と快楽」はじめフーコーをめぐる重要テクスト、シャトレに捧げた名作『ペリクレスとヴェルディ』、そして情況/権力論、芸術・文学・映画などをめぐるテクストを集成。来たるべき政治/芸術にむけた永遠に新しいドゥルーズ哲学のエッセンス。
目次
フーコー(知識人と権力;欲望と快楽 ほか)
シャトレ(ペリクレスとヴェルディ―フランソワ・シャトレの哲学)
情況論・権力論(集団の三つの問題;『牧神たちの五月後』への序文 ほか)
作品論・映画論(エレーヌ・シクスーあるいはストロボスコープのエクリチュール;冷たいものと熱いもの ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
25
1988年初出。フーコー曰く、監獄とは、権力がもっとも極端な次元において裸の状態で発現し、道徳的な権力としてみずからを正当化できる唯一の場所(14頁)。ドゥルーズ曰く、欲望とかリビドーは政治経済の主観性にすぎない(117頁)。国家独占資本主義は最終的な所与でなく妥協の産物とする(118頁)。人間一人ひとりが両性具有でありながら、自分で自分を受精できないのは、男女別に性器分離しているから、恋愛、性愛の系列が豊か(236頁)。2015/10/15
またの名
12
「政治活動にサルトルやフーコーが加わってくれる理由は分かるけど、ドゥルーズとなると皆目謎」と不思議がられた哲学者は、理論は権力に対抗し道具として役立つべきで理論自体のための自己満足ではダメと返答。生物的だったり集団的、政治的だったりする諸々の器官なき身体の上で、権力組織(器官)を持たない欲望と物体と言表の動的編成を構築しようと語りかける人物が社会活動に非協力的と考える方がむしろフーコーも言う通り、不思議。政府から興行企業まで未だ上層からの保身命令を死守させる構造がはびこるも、抵抗の意義を説いて本は閉じる。2019/07/21
袖崎いたる
11
彼は哲学を、概念を創ることだとする。彼の仕事を窺うとその新しい概念の創作ノートな観がたしかにある。ぼくに哲学を語った人も別れ際に「哲学はことばの学です」とおっしゃっていたっけ。哲学をそのように捉えるとき、ドゥルーズの概念創作の意匠は実はみんなやってんじゃねーかという問いを立てることができる。偉大な哲学者が大きな郵便局だとして、そこではことばが差し立てられる。ひとつの語の流通にしてもそれに意味を備給するのはその人の実人生が隠喩的に下支えして、ということに首肯してみれば、その位相を問う欲望こそ哲学者のそれか。2017/05/21
やいっち
3
感想にもならない感想を書いた: http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2016/01/post-d457.html 2016/01/09
gu
2
p308「哲学は、そのほかのあらゆる領域に劣らず、創造的であり、創意に富んだものであるということ、そして、哲学は、様々な概念を創造あるいは考案することに存しているということです」p310:物語を取り入れるか、あるいは拒否するかといったことは問題にはなりません。どんなものにも物語はあるのですから。哲学にしても様々な物語を語っているのです。すなわち、概念による物語です。映画が語るのは、運動/持続のブロックによる様々な物語です。2021/03/27
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