内容説明
はるかに高く遠く、光の過剰ゆえに不可視のまま、世界の中心にそびえる時空の原点―類推の山。その「至高点」をめざす真の精神の旅を、寓意と象徴、神秘と不思議、美しい挿話をちりばめながら描き出したシュルレアリスム小説の傑作。“どこか爽快で、どこか微笑ましく、どこか「元気の出る」ような”心おどる物語。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
202
何ともとらえどころない小説である。言葉そのものが難解というわけではない。しかし、様々な意味において、従来の小説の規格からは外れている。小説の構造は『ガリヴァー旅行記』に似ていなくもないのだが、物語としてのコーダを欠いたままである。未完なのだろうが、そもそも完結するものなのかも不明である。「類推の山」は、いわば錬金術における「賢者の石」に他ならないのだろう。観念の中にしか存在しないはずの至高点をまさに小説によって実体化させる試み、あるいは螺旋渦巻きの曲面と鋭角に切断された平面とが隣り合せにあるような小説か。2015/03/06
翔亀
58
ブルトンのシュルレアリズムの至高点が表現された、と言われる。なくてはならないはずの未踏破の架空の山を極める本書によって。こうした文学史的な評価に難解そうだと怖れながら読んだが、登山をめぐる哲学小説の類ではなく、なんともワクワクする大人のファンタジー冒険小説ではないか。この至高の山を"科学的"に探索し、仲間で探検の準備をする楽しさは、すべて解決しまった現代においてありうるとしたら、こういう形になるのか、と楽しく読んだ。至高点に至る人生に終わりがないように、この小説も未完。寂しくも明るく元気が出る小説だ。2015/07/05
藤月はな(灯れ松明の火)
47
京都で開催されたルネ・マグリット展で購入。「類推」は、対象の相似点を分析しながらも対象同士は「同一」ではないこと。人々が「似ている/そっくりだ」と認識しているのも「類推」でしかなく、「同一」ではない。だけど人は対象を見ると「類推」し、その「類推」を共有することを押し付ける。そうしなければ、自分自身が所属する世界やその価値観、基準を否定することになってしまうからだ。「類推」に囚われたユング的我々に贈られた遊びに満ちた作品。2015/07/22
ドン•マルロー
39
これこそが真の小説と呼ぶにふさわしい代物なのかもしれない。もしも文学作品を創造すること、もしくはそれを読者として体感することが、現実でも幻想でもない、ある至高点への到達を目論む旅なのだとするならば。光の過剰ゆえに目で捉えられない、しかしこの時空の原点として絶対に存在しなければならぬ至高点ー「類推の山」を目指し、主人公たち一行は無謀な旅を企てる。まるで小説そのものの可能性を探究するかのように。この作品は未完である。しかし未完だからこそ「類推の山」は我々から遥か遠く隔てられた所に、厳然と高くそびえるのだろう。2015/12/26
Vakira
38
個人的に映画監督のホドロフスキー祭りをやっている。渋谷のアップリンクで旧作も上映。伝説の「ホーリーマウンテン」を映画館で観た。これぞ映像詩人といった作品でストーリーの奇想天外さ、映像の斬新さ、とにかく惹き込まれた。この本「類推の山」はこの映画の原作と知り読みたくなった。普通の本屋には在庫がなく、とある本屋で発見。これはLuckyと思い、読順変更して読んでみた。フランスの詩人界では旋風を巻き起こした若手詩人の遺稿の未完の書であった。これはこれで面白いが、映画の原作とは言い難い。単なる発想の原案程度。2017/12/16